飯塚将光
June 12, 2013
飯塚将光が引退…一時代築いた「ミスターオート」 - SANSPO.COM(サンスポ)http://race.sanspo.com/autorace/news/20130611/atrnws13061117350001-n1.html
>2013.6.11 17:33
7日をもって引退した飯塚将光選手。“ミスターオート”の愛称で親しまれ、数多くの金字塔を打ち立てた http://race.sanspo.com/autorace/images/20130611/atrnws13061117350001-p1.jpg
>“ミスターオート”と呼ばれ、ファンから親しまれてきた飯塚将光(63)=船橋=が、7日をもって現役を引退し、42年間の選手生活に幕を下ろした。
>飯塚は1971年3月に第9期生として選手登録。77、78年の日本選手権を連覇するなど、SG優勝は9回。GIも史上最多の28Vを達成しており、数々の金字塔を打ち立てた(通算1382勝、優勝142回)。
>「デビュー以来42年、お陰様で、夢のような成績を残して選手生活を無事に終えることができました。私はどの選手よりもファンの声援が力になるタイプです。ファンの皆さんの応援がなければこのような成績は残せなかったでしょう。ファンの方々にはいくら感謝しても感謝しきれないと思っています。本当にありがとうございました。年齢的なこともあり、ここ数年はいつも引退を考えていました。もっと走りたい気持ちはありますが、体力の限界を感じ引退を決意しました。思い出のレースは、1977年(浜松)、78年(船橋)の日本選手権です。当時SGレースは日本選手権しかなく、デビュー時から優勝を夢見ていたので77年に初制覇したときはとてもうれしかった。また、78年は地元ファンの声援の中で連覇を達成することができ、喜びをかみしめることができたことを覚えています。これからも、この素晴らしい『オートレース』がずっと続いていくことを祈っています。またファンの方に黙って辞めるわけにはいかないので、7月7日船橋オートでファンの皆さんの前で引退のご挨拶をさせていただきます」とJKAを通じてコメントした。
>◆飯塚と同期の篠崎実「寂しいね。まあちゃん(飯塚)の方が俺より後で辞めると思っていたのでなおさらだね。ずっと仲が良かったよ。同期だから養成所でも一緒。まあちゃんはいつもアクセルグリップを開けちゃってさ、教官によく注意されていたよ(笑)。最も印象に残るのが船橋の日本選手権(86年)。まあちゃんが優勝で俺が2着。今となってはいい思い出だね。まあちゃんが速かったから船橋の選手も速くなったんだよ。だってミスターオートだもの。みんな目標にしてた。本当に、本当にお疲れさまです」
俺がオートに手を染めた時点で既に『セア(マシン名)の申し子』と呼ばれ一斉を風靡した片平巧も既にピークを過ぎていた、だからそれ以前の、ミスターの全盛期など知る由もない。そんな俺でも強く印象に残ってる事があって、それが06年の船橋オールスター。
オートレース|SG第25回オールスターオートレース (船橋) |過去のレーストピックス
7レースだったか8レースだったか発売中に行われた優勝戦出場選手の紹介セレモニー、挨拶のためマイクに向かうミスターへの声援はひときわ大きかった。周りのオトーサンがた「やっぱ飯塚人気あるね」などと嬉しそうだったもの。レースは良いスタートを切ったものの赤灯、それが岡部聡のフライングとあって「岡部Fって珍しいよね」「グランドスラム掛かってるから(固くなって)」「あー」とか声がそこかしこから。で再発走、これはミスター思いっ切り後手踏んで食われて終戦。それでも、これでミスターの価値が下がるとかは全くない、みな敢闘を称える的な。昨日の第一報を受けてのネットでの反応を見ても、この人は愛されてたんだなっつうのがよく解る。とまれ、お疲れ様でしたm(__)m
>2013.6.11 17:33
7日をもって引退した飯塚将光選手。“ミスターオート”の愛称で親しまれ、数多くの金字塔を打ち立てた http://race.sanspo.com/autorace/images/20130611/atrnws13061117350001-p1.jpg
>“ミスターオート”と呼ばれ、ファンから親しまれてきた飯塚将光(63)=船橋=が、7日をもって現役を引退し、42年間の選手生活に幕を下ろした。
>飯塚は1971年3月に第9期生として選手登録。77、78年の日本選手権を連覇するなど、SG優勝は9回。GIも史上最多の28Vを達成しており、数々の金字塔を打ち立てた(通算1382勝、優勝142回)。
>「デビュー以来42年、お陰様で、夢のような成績を残して選手生活を無事に終えることができました。私はどの選手よりもファンの声援が力になるタイプです。ファンの皆さんの応援がなければこのような成績は残せなかったでしょう。ファンの方々にはいくら感謝しても感謝しきれないと思っています。本当にありがとうございました。年齢的なこともあり、ここ数年はいつも引退を考えていました。もっと走りたい気持ちはありますが、体力の限界を感じ引退を決意しました。思い出のレースは、1977年(浜松)、78年(船橋)の日本選手権です。当時SGレースは日本選手権しかなく、デビュー時から優勝を夢見ていたので77年に初制覇したときはとてもうれしかった。また、78年は地元ファンの声援の中で連覇を達成することができ、喜びをかみしめることができたことを覚えています。これからも、この素晴らしい『オートレース』がずっと続いていくことを祈っています。またファンの方に黙って辞めるわけにはいかないので、7月7日船橋オートでファンの皆さんの前で引退のご挨拶をさせていただきます」とJKAを通じてコメントした。
>◆飯塚と同期の篠崎実「寂しいね。まあちゃん(飯塚)の方が俺より後で辞めると思っていたのでなおさらだね。ずっと仲が良かったよ。同期だから養成所でも一緒。まあちゃんはいつもアクセルグリップを開けちゃってさ、教官によく注意されていたよ(笑)。最も印象に残るのが船橋の日本選手権(86年)。まあちゃんが優勝で俺が2着。今となってはいい思い出だね。まあちゃんが速かったから船橋の選手も速くなったんだよ。だってミスターオートだもの。みんな目標にしてた。本当に、本当にお疲れさまです」
俺がオートに手を染めた時点で既に『セア(マシン名)の申し子』と呼ばれ一斉を風靡した片平巧も既にピークを過ぎていた、だからそれ以前の、ミスターの全盛期など知る由もない。そんな俺でも強く印象に残ってる事があって、それが06年の船橋オールスター。
オートレース|SG第25回オールスターオートレース (船橋) |過去のレーストピックス
7レースだったか8レースだったか発売中に行われた優勝戦出場選手の紹介セレモニー、挨拶のためマイクに向かうミスターへの声援はひときわ大きかった。周りのオトーサンがた「やっぱ飯塚人気あるね」などと嬉しそうだったもの。レースは良いスタートを切ったものの赤灯、それが岡部聡のフライングとあって「岡部Fって珍しいよね」「グランドスラム掛かってるから(固くなって)」「あー」とか声がそこかしこから。で再発走、これはミスター思いっ切り後手踏んで食われて終戦。それでも、これでミスターの価値が下がるとかは全くない、みな敢闘を称える的な。昨日の第一報を受けてのネットでの反応を見ても、この人は愛されてたんだなっつうのがよく解る。とまれ、お疲れ様でしたm(__)m
ippachi_bakuchiuchi at 20:12│コメント(0)