藤沢秀行

May 10, 2009

 キヨシロー追悼企画で競輪やるかって気になった(実際にはやらんかったが)翌週には藤沢秀行の死。「おまエエ加減競輪せえや」と尻叩かれてる気がして西武園へ。
 前書いたが、最後に競輪場に足を運んだのは昨秋の花月園記念、しかしこの時は車券全く買ってなく、じゃ最後に買ったのいつだと電投記録調べるとその後の全日本選抜@西武園だった。これを優勝したのは三宅伸だが、俺が前ここに来たのは、当時三日制だった記念を三宅伸が優勝した日(調べてみると9年前)。そんなこんなでテメー勝手に因縁を感じ、いざ!と。
 前は西武新宿から直通の急行だか準急だかが開催日のみ臨時運転されてたと記憶するが、んなもなとっくに廃止されている(帰り便は数本残されている)。で、車窓の景色は当時の事など記憶にないが、今でも西武柳沢過ぎると畑が現れるのね。だからって訳でもないが、東村山の乗換時間が10分もあるので立ち食いソバ屋に入ったら、珍しく山菜ソバがあった(競輪場内の食堂にも山菜ソバ出してる店があった)。
 ここは、2ちゃんねるの競輪板ではとにかく客いねー!って事になってるが、理由がある。入場して
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真っ直ぐ行くと1コーナー最上段。
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つまり
●東京ドームのように外周部からバンク側に降りていく構造
●バンク近くになるほど屋根の恩恵を受けられず、陽射しも雨もモロ直撃(今日は最高気温30℃!)
●カントが緩い事で知られるバンクだが、それでも近付くほど、座ると手前側が死角に
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●バンクに近い場所は穴場まで遠い
かくて普通の客は便利なスタンド最上段にタムロ→TVに映る範囲に客おらん、となる理屈。
 マイナス材料ばっかじゃアレなんで良いトコも挙げると
●コンクリ打ちっ放しのスタンドは経年劣化が目立たない→その代わり鉛筆で落書きされ放題
●座ると死角が出来ると書いたが、雛段の角度は良く、立ってる分には場内どこからも非常に見易い→ゴール前には特観しかない事や大型映像がないのをケナす向きもあるが、レースそのものは見易いし入線順位も掴み易い
●オネーチャン警備員がいるので、気持ちが荒んで来ない
●場内緑が多く、気持ちが荒んで来ない→夏場は虫刺されに注意
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●場内に多摩川競艇の広告があるほど鷹揚
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●ビールはモルツとスーパードライを選べる
まあそんな案配。
 誰が出てるかも知らん状態で来て、しかも青競
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も買わんと出走表だけで予想というナメ切った姿勢だが、それでもこれは!というレースがあった。
10R出走表
今開催目玉の一人(らしい)早野が主導権も捲り切るまでに脚使うし、初日特選組の柴田が差して3着は手広く…
結果
柴田差せないってかorz
 結局ノーホーラで終了。でも楽しかった(´∀`) そんなイカレてないってのもあるにせよ、久々に脳トレした充実感つうか、何だかんだ言ってもやっぱ競輪面白いよなと。負け惜しみでなく、車券半年振りのまだ競輪リハビリの段階でホイホイ勝てるほど甘かぁないと思ってるし(んな甘いモンだったら藤沢秀行のめり込んだりせんかったろう)。今はまだ、勝つ事より競輪=楽しいと植え付ける段階、だからこれで充分。今度どこ行くべか(´∀`)

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May 09, 2009

 棋士の藤沢秀行が亡くなった。競輪打ちには名の知れた大豪で、競輪に限らずバクチ全般、また酒に女にとエピソードも多い。豪放磊落を地で行く人だったそうで、でもそれは虚勢を張ってただけで実際は自分に脆いタイプの人だったのではないか?っつう気がする。人と居ると間が保たないから酒に走りアルコール依存症に…とか。自分で存れた、自身を取り戻せたのは碁やバクチの局面に対してるその瞬間だけだったんじゃないか。いや全くの直感だけど。
 この前亡くなった忌野清志郎もそうだが、時代的にも人脈的にも結構近いトコ見てるのに俺はちゃんと出会う事なく終わっちゃったなと。せめて碁打てりゃねえ…手元の本に何か、触れられたエピソードが無いか探してみたが、『風雲ジャズ帖の逆襲/山下洋輔(東京書籍)』に一行出て来るのみ。

 風雲ジャズ帖の逆襲
 著 者:山下 洋輔
 販売元:東京書籍
 発売日:1995-09
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この本はどういう趣向か、著者の周辺人物は全て当て字や読みも変えてあって山下文学初心者にはいささか取っ付き難いが、自身は『野暮舌』として登場する。

 >この後、さらに交友が続き、野暮舌は片岡九段に競輪を教えてもらう
  ことになる。住んでいるところが多恥川市と知って片岡さん「そういう
  所に住んでいて競輪をしないのはもったいない」とのお言葉。
 >大きな記念レースの招待券を用意してくださった。その日、特別
  観覧席のロビーに連れていってもらうと、その一角にはあの伝説の
  藤沢秀公名誉棋聖を始め、有名棋士がずらりと揃っているという光景。
  野暮舌と保志さん、互いに袖をつつきあいながら、「あ、秀公だ」
  などと小声で興奮する。この日、片岡九段の「競輪は団体競技です」
  から始まる適切な指導とビギナーズラックで、野暮舌、数千円分を勝った。
 >終わって、大群衆と共に押されるように多恥川駅まで移動した。
  駅ビル内の居酒屋で乾杯。やがて片岡さんの音頭で反省会がはじまり、
  それぞれが買ってあった専門新聞と赤鉛筆を出して記憶をたどる。
  片岡九段は最後のレースで究極の読みを的中させ、レース展開が
  その通りになったという。しかし、ある選手の一瞬の動きで着順が
  数センチ入れ替わった。その結果を冷静に反芻していたが、さすがに
  色白の頬は紅潮していた。話される言葉の中になにやらケイリンという
  ものにまつわる様々な深淵な世界がちらりと垣間見られるのだが、
  それ以上の理解には到達できぬ、野暮舌、保志の初体験コンビなのだった。

さらにこのエピソードの後半には、こんなクダリが。

 >冗談半分にせよそう言う片岡九段からは、一瞬「勝負師」の姿が
  立ちのぼる。考えてみたらこの方の住む世界は、単なる表現の世界
  ではなく、相手を倒し、殺し、自分が這い上がらねばならない、勝負、
  武芸、の世界なのだった。真剣勝負に臨む片岡九段の姿は、我々に
  見せたことのない凄みを帯びるのだろうと、野暮舌恐れつつも実感したのだった。

こういう人達が引き付けられるサムシング、何物かが競輪にはあるのだろう。面白いのは、将棋も、羽生を初めとして競輪打ちが多い事だ(競輪のビッグレースの中継番組のゲスト等にしばしば登場する)。両競技は脳の使う部分が違うというが(碁は女流棋士も男に伍して戦えるが将棋は棋力の男女差が大きく、プロ棋界で男が女に負けるとそれだけで大ニュースとなる)、囲碁=競輪・将棋=競艇とか明快に棲み分けるのでなく、それぞれが競輪に魅せられている(もちろん他のバクチに手を出してる人も多いだろうが)。
 さて、いみじくも片岡は競輪を団体競技だと山下に説いた。この本の初版は95年9月。それから14年、競輪のルールや競輪を取り巻く環境も随分変わった。今の輪界は片岡にはどう映っているだろうか( ´-`)y-~~~

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