佐藤洋一郎
July 21, 2016
【悼む】サンスポ競馬担当・佐藤洋一郎、巨泉さんは記者以上の能力 - SANSPO.COM(サンスポ) http://www.sanspo.com/geino/news/20160721/geo16072105050002-n1.html
>2016.7.21 05:05
>サンスポと競馬エイトの巨泉番を命じられ、競馬資料を届けに挨拶がてら、初めて祖師谷(東京・世田谷区)のプール付き豪邸のベルを鳴らした。まだ完成前で職人さんたちの姿も見えたが、何の返答もない。しかたなくドアノブをひねると、懐かしいジャズの曲。失礼ながら膝をついてのぞきこむと、なんとあの怪物・巨泉がピアノの前でスー(寿々子夫人)の肩を抱いて楽しげに踊っていた。
>仕事にも人にも厳しい鬼のような男−と先任者から聞いていた恐れと緊張が一挙にくずれ、そのままリビングに潜入して歓待された。以来、週中に馬柱や調教タイムを届け、週末(土曜日)には夫人同伴の愛車ムスタングを追って自動車課の無線機を積んだ専用車(携帯電話普及以前)で競馬場に行くという、過密で気の抜けない番記者の仕事が続いた。
>午前10時過ぎに発表される枠順をムスタングに乗り移って告げ、そのメンバーと枠順によって巨泉さん自らがダンゴ(予想印)を打ち(変更し)、買い目を決定する。それを記者が無線機で本社の編集部に送る…という「早刷り競争」下での薄氷を踏むような最前線でのあれこれを、今でも思い出す。
>中山に向かう甲州街道で無線機が故障してしまい、夫人を車に残して、たばこ屋の赤電話で十円玉を積み重ねて「巨泉でバッチリ」の手直しや目(印)入れをして滑り込みセーフ!てこともあった。
>佐藤洋一郎(さとう・よういちろう)
>1970年、サンケイスポーツ読者予想コンテストで初代チャンピオンとなり、「競馬エイト」の発刊スタッフに。エイトの看板評論家・大橋巨泉氏の担当を務めつつ、サンスポに予想を掲載して注目され、巨泉氏に「オッズを変える男」「鬼才洋一郎」と称賛される。
サスガは巨泉番、という追悼記事だ。それにしても、マンパワーで何とかするしかなかった昔の人の大変さよ。もっと昔の、各新聞社が伝書鳩飼ってた時代に比べたら長足の進歩ではあるものの(何せ電話があるのだから)、それでも今なら各紙記者がノートパソコンで済ますところをこの苦労だ。原稿の電話送りって、業界もので見聞きはするが、
ケイリン徒然草 “戦前そのもの”でも味があった取手競輪場 - リアルライブ http://npn.co.jp/sp/article/detail/53149555/
壮絶だもんな。あと、今の若い人には「赤電話って何?」だろうし(今のスマホにはデフォの着信音として「黒電話」がプリセットされてない、その黒電話よりも死語だ)。公衆電話も見掛けなくなったしやはり死語だし、まあとにかくちょっとしたところならそこかしこにタバコ屋があって、その店頭には必ず卓上型の赤い公衆電話があった。コストダウンのため10円玉しか受け付けない仕様で、だからある程度の長きに渡って話す事が判ってる時は百円玉を全部10円に両替して、通話中に警告音が鳴るたび10円追加して…ってやってたのだ。ホント、隔世の感があるな(´-`).。oO
>2016.7.21 05:05
>サンスポと競馬エイトの巨泉番を命じられ、競馬資料を届けに挨拶がてら、初めて祖師谷(東京・世田谷区)のプール付き豪邸のベルを鳴らした。まだ完成前で職人さんたちの姿も見えたが、何の返答もない。しかたなくドアノブをひねると、懐かしいジャズの曲。失礼ながら膝をついてのぞきこむと、なんとあの怪物・巨泉がピアノの前でスー(寿々子夫人)の肩を抱いて楽しげに踊っていた。
>仕事にも人にも厳しい鬼のような男−と先任者から聞いていた恐れと緊張が一挙にくずれ、そのままリビングに潜入して歓待された。以来、週中に馬柱や調教タイムを届け、週末(土曜日)には夫人同伴の愛車ムスタングを追って自動車課の無線機を積んだ専用車(携帯電話普及以前)で競馬場に行くという、過密で気の抜けない番記者の仕事が続いた。
>午前10時過ぎに発表される枠順をムスタングに乗り移って告げ、そのメンバーと枠順によって巨泉さん自らがダンゴ(予想印)を打ち(変更し)、買い目を決定する。それを記者が無線機で本社の編集部に送る…という「早刷り競争」下での薄氷を踏むような最前線でのあれこれを、今でも思い出す。
>中山に向かう甲州街道で無線機が故障してしまい、夫人を車に残して、たばこ屋の赤電話で十円玉を積み重ねて「巨泉でバッチリ」の手直しや目(印)入れをして滑り込みセーフ!てこともあった。
>佐藤洋一郎(さとう・よういちろう)
>1970年、サンケイスポーツ読者予想コンテストで初代チャンピオンとなり、「競馬エイト」の発刊スタッフに。エイトの看板評論家・大橋巨泉氏の担当を務めつつ、サンスポに予想を掲載して注目され、巨泉氏に「オッズを変える男」「鬼才洋一郎」と称賛される。
サスガは巨泉番、という追悼記事だ。それにしても、マンパワーで何とかするしかなかった昔の人の大変さよ。もっと昔の、各新聞社が伝書鳩飼ってた時代に比べたら長足の進歩ではあるものの(何せ電話があるのだから)、それでも今なら各紙記者がノートパソコンで済ますところをこの苦労だ。原稿の電話送りって、業界もので見聞きはするが、
ケイリン徒然草 “戦前そのもの”でも味があった取手競輪場 - リアルライブ http://npn.co.jp/sp/article/detail/53149555/
壮絶だもんな。あと、今の若い人には「赤電話って何?」だろうし(今のスマホにはデフォの着信音として「黒電話」がプリセットされてない、その黒電話よりも死語だ)。公衆電話も見掛けなくなったしやはり死語だし、まあとにかくちょっとしたところならそこかしこにタバコ屋があって、その店頭には必ず卓上型の赤い公衆電話があった。コストダウンのため10円玉しか受け付けない仕様で、だからある程度の長きに渡って話す事が判ってる時は百円玉を全部10円に両替して、通話中に警告音が鳴るたび10円追加して…ってやってたのだ。ホント、隔世の感があるな(´-`).。oO
ippachi_bakuchiuchi at 21:31│コメント(0)