アイネスフウジン

February 03, 2016

【あの時・オグリキャップ】(番外編4)白川次郎アナウンサー : スポーツ報知 http://www.hochi.co.jp/horserace/20160204-OHT1T50156.html
>2016年2月1日18時24分 スポーツ報知
20160204-OHT1I50067-L白川次郎アナウンサー http://www.hochi.co.jp/photo/20160204/20160204-OHT1I50067-L.jpg
>―1990年の有馬記念で実況を担当されました。印象的だったのが残り200メートルでオグリキャップが先頭に立った時に「さあ、頑張るぞ、オグリキャップ」との言葉です。
>「完全に思い入れですね。『頑張れ』では応援になってしまうので『頑張るぞ』にコンマ何秒かで変えたんです。ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)は場内放送を競馬会から委嘱されているオフィシャルの放送なので、厳正中立でなければいけない。これはどこの局でも一緒なんですけどね」
>―実際にレースを実況した感想は。
>「まさか(オグリキャップが)勝つと思っていませんでした。『ホントに? え〜っ!』という感じ。人間の世界ではあり得ないような奇跡的な勝ち方でした。ゴール前はものすごくテンションが上がって、結局、レース前に用意したコメントを全く使いませんでした」
>―勝った時のコメントを用意していたのですか。
>「出走馬全馬、勝った時にどう褒めてあげようかと称賛の言葉を用意するんですよ。当然、オグリキャップも用意してありました。ただ、これだけのことをやった馬に対して、通り一遍の褒め言葉はないだろう、と。空々しくなってしまうので、用意した言葉を一切捨てました。何を言おうかとなった時、びっくりした気持ちを素直に言おうと思いました。『この最後の瞬間にファンの期待に応えました』と。素朴に『すごい』と思いました」
>―ゴール後、オグリコールが起こった時に「さあ、みなさんもご一緒にどうぞ」と一言添え、黙ってマイクを場内に預けました。
>「実は、その年(1990年)のダービーで失敗しているんです。中野コール(アイネスフウジンで勝った中野栄治騎手をたたえるコール)が起きた時に、解説の方々に話を振ってしまいました。場内の音をそのままマイクに乗せて全国の皆さんに伝えれば、すごくいい雰囲気が伝わったはずなんですよ。せっかくいい音素材がありながら使えなかったという、ものすごく悔やんだ例があったんです。ですから、オグリコールが起きた時に、僕は黙ることにしたんです」
>―17万人のオグリコールを電波に乗せました。
>「音声さんや技術さんにお願いして、マイクのボリュームを上げてもらって。オグリコールを30秒くらい、ずっと聞いていただきました。それが全てを語っていると思うんです。その声を聞くだけで、スタンドの情景や競馬場全体の雰囲気が伝わったのではないかなと。あれは僕がどんな言葉を使っても言い表せない。言葉で伝えられる限界はやっぱりあって、それは常々感じており、競馬場のみなさんのリアクションを聞いてもらうことで、言葉を上回るものが伝わったと思います」
>(聞き手・石野 静香)
>◆白川 次郎(しらかわ・じろう)1945年11月5日、高知県生まれ。70歳。日大芸術学部放送学科から1968年にラジオたんぱ(現株式会社日経ラジオ社)に入社。オグリキャップが勝った有馬記念(88、90年)のほか、ミスターシービーが制した天皇賞・秋(84年)、トウカイテイオー復活の有馬記念(93年)などを実況。2002年に初のエッセー「あと100っ!」を出版。14年には過去のレース実況を収録したCD「白川次郎実況名勝負セレクション」を発売した。2014年6月に引退。現在は美浦トレーニングセンターのG1調教見学ツアーなどを行っている。171センチ、67キロ。血液型B。

「番外編4」とあるようにかなりの大特集だが(本項だってかなり端折ってる)、それが出来るばかりか、それを紙面で特集する事を許されるほどのスターホースだったという事だ。とにかくエピソードに事欠かない、そしてそれに触れた白川さんの強烈なプロ意識たるや!四半世紀経って、改めてオグリキャップの偉大さに思いを馳せると共に、これをやってくれた報知G.J.!と褒めそやしたい。俺はこの有馬は見(←「ケン」。バクチ用語で「スルー」の意)だったし、俺の馬券術は消しから入るのでアンチとまではいかないまでもオグリファンではなくて、でもそんな俺にすら「刺さる」良記事だった。再度、報知GJ(•∀•)!


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April 18, 2012

加藤修甫元調教師が死去、76歳 http://www.sanspo.com/keiba/news/20120418/kei12041805040002-n1.html
>2012.4.18 05:00
781c94c2.jpg 1990年の日本ダービー馬アイネスフウジンの手綱をとる加藤修甫元調教師(右)。鞍上は中野栄治騎手(現調教師)。 http://www.sanspo.com/keiba/photos/20120418/kei12041805040002-p1.html
>1990年のダービー馬アイネスフウジンや98年に天皇賞・秋を制したオフサイドトラップを管理したJRA元調教師の加藤修甫(しゅうほ)氏が16日、病気のため死去した。76歳だった。
>日本大学在学中に父の加藤朝治郎厩舎で調教助手となり、71年に調教師免許を取得。73年から千葉県の白井分場で開業した。80年の牝馬東タイ杯(ジュウジアロー)で重賞初勝利。89年の朝日杯3歳S(アイネスフウジン)でGI初勝利を挙げるなど、06年2月28日の定年までにJRAで5215戦548勝。重賞18勝を挙げた。
>(紙面から)

加藤修甫師といえば、一番印象に残ってるのはアサヒエンペラー。担当厩務員は後年ダービーをアイネスフウジンで制した佐川さん(記事内のジュウジアローも手掛けた腕利きで有名だった)、二頭のどっちが強いか?と訊かれるや「エンペラー!」と即答した、それほどの素質馬だったが、4歳(←旧年齢表記)春のクラシック路線を当時若手で実績も大して無い中館英二を乗せ続け、マスコミの批判を受けた。これに対し加藤修師は「馬も育てる。人も育てる」と大見得を切り黙らせたがこれ、脚元がパンとせず、追える騎手を乗せると故障する可能性が極めて高かったからっつう裏があって、ダービーの輪乗りの際に中館と佐川さんが「佐川さん跛行してるよ」「いつもの事だろ」とパドックでやり取りしてたほど。このダービーを制したダイナガリバーを管理する松山吉師は、レース後「お前よく(ダービーに)使ったな、俺なら(故障が)怖くてとても使えなかった」と加藤修師に漏らしている。で、秋緒戦はセントライト記念、鞍上は蛯沢誠治。あの加藤修師が乗り換わらせたという事実は絶好の買い材料、これで俺は大勝負を掛け(同僚にもけしかけた)結構な儲けを…っつうのは年寄りの自慢話。
 それにしても、今「馬も育てる。人も育てる」なんて口に出来る調教師がどれだけ居るだろうか。もちろん時代が違うとはいえ、だ。合掌(-人-)

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December 26, 2011

 生地が捻ねくれ者なのに加え、人間オッサンになると記念日とか祭りのタグイがどうでも良くなるものだ、クリスマスを祝うという事は全くない。確か去年はウドン茹でて一杯っつう夜を送った様に記憶する。が、今年は震災もあったし、せめて被災地の子供達は幸せなクリスマスを過ごして欲しい…なんつう柄にもない感情を抱き、帰途立ち寄ったローソンでケーキに手が伸び掛け…あウチ箸しかねーや、と思いとどまった。ってな事を社で話したら、同僚が「俺割箸で食ったよ。朝どん兵衛食ったの洗って」(´;ω;`)ブワッ

関西生コン15社が連鎖破綻 舞台裏で浮上する手形操作疑惑 http://diamond.jp/articles/-/15468
>【第560回】 2011年12月26日
>大阪府の建設業界に激震が広がっている。12月14日までのわずか2週間で、府内を中心にセメント・生コン業者が15社も経営破綻したからだ。地元では、夜逃げ業者の社名まで飛び交い、大きな騒ぎとなっている。
>きっかけは、セメント・生コン卸の地場大手として知られる藤成商事(大阪市北区)が、11月30日に事業停止に追い込まれたこと。
>同社の破綻によって、生コンを製造するグループ3社をはじめ、取引先11社が年を越すことなく次々と経営破綻。地場の大手だけに影響力が大きかったこともあるが、じつはその舞台裏で、同社と取引先との不透明な手形操作の疑惑が浮上しているのだ。
>もともとこの業界では、一方が取引先にセメントを売って相手から生コンを買うという売買実態とともに、双方で手形を振り出し合うという習慣があった。それと並行するかたちで別の手口も利用されたというのだ。
>帝国データバンク大阪支社の和家浩紀氏は、「藤成商事と親密取引先は、融通手形を振り出し合うことで資金不足を解消していた疑いがある。同社の手形割引残高の推移は、事業規模に対してあまりにも多過ぎるし、売上高もこの建設不況下ではありえない増え方だ」と指摘する。
>現に11年3月期の同社の手形割引残高は39億0300万円と、過去6年で2倍以上にふくれ上がった。一方で、売上高は1.7倍にも増大している。
>(「週刊ダイヤモンド」委嘱記者 内村 敬)

大阪の生コン業界っつうとかなりえげつない話が漏れ伝わってるが、これ↑はそれとは関係なく、手形を融通し合ってた同士が連鎖倒産したってだけの様だ。

 >11年3月期の同社の手形割引残高は39億0300万円と、過去6年で2倍
  以上にふくれ上がった。一方で、売上高は1.7倍にも増大している

売上高の増加率以上に手形割引残高が増えてるのは典型的な自転車操業の証、こりゃどもならん。…しかしバクチ打ち的には、日本ダービー馬アイネスフウジンのオーナーが本業で行き詰まり、3人(=手形を融通し合ってた3社の社長)でホテルの一室でテイクアウトの吉牛食って首吊った件をどうしても思い出してしまう。競馬ファンには有名な話だが何とも哀しく…(´・ω・`)

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