December 08, 2020

新橋〜横浜間で「最終18時」だった日本の終電…どうしてこんなに遅くなった? | 文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/41980
>鼠入 昌史
>2020/12/07
>戦後は復興、そして経済成長とともに小刻みに終電時間が遅くなってゆく。
>夜遅くまで働いて酒を飲んで帰るというのが昭和の企業戦士たち。終電に駆け込んで間に合えばまだいい方で、終電を逃すこともしばしばだった。
>そうして日付が変わってから帰宅する“午前様”(この言葉もすっかり死語になりました)が珍しくなくなってゆき、1980年代なかばにはいまも懐かしバブルへGO。
>夜な夜なディスコで踊り明かした若者たちも多かったあの頃、終電を遅くしろ! という圧力は年々高まっていった。
>この頃の新聞記事を見ると、社説などで「終夜運転への発展を期待」といった論調の記事が目立つ。ちょうどコンビニやファミレスの24時間営業が広まったのもこの時代。いまでは当たり前になった大井競馬場のナイター競馬も1986年スタートだ。
>定時を過ぎても残業に勤しみ、ようやく会社から出てもまっすぐ帰らず仲間と繁華街。酒に飲んで飲まれて深夜に帰る。そういう時代の先駆けで、電車の終夜運転への期待が高まるのも当然のことだ。“24時間戦えますか”のフレーズが印象に残る『勇気のしるし〜リゲインのテーマ〜』が流行ったのも1989年である。

バブル期を知らない若い世代にも当時の世相が伝わる(であろう)良記事だ。
 俺の子供時分、小売店はみんな19時ぐらいには閉まってた。人口2万に満たない町で、でも隣接する市町村の中では一番人口が多くて…っていうような田舎だったせいなら話は簡単だが、日本テレビが【11PM】を開始した当初はそんな時間帯にTV視てる人など皆無に等しく視聴率調査も『*(←計測不能=限りなくゼロに近い)』で、そんな商売にならないと思われてる時間帯を売り物に出来たら美味しいぞ…っていうのが番組開始時の狙いだったという。首都圏ですら、当時の夜は早かっのだ。
 記事タイトルの18時っていうのは明治時代の話だからさすがに比較対称としてはおかしいが、しかし戦後の復興からこっち、基本的に日本の景気は右肩上がりで伸びて行き(途中オイルショックなどはあったものの)、それに伴い夜も長くなって行く、夜型生活になって行く。
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ナイター公営競技って本当に画期的だったのよ当時は…っていう年寄りの昔話だ。またバブル来ないかなあ(´-`).。oO
ナイト・ライツ
ジェリー・マリガン
ユニバーサル ミュージック クラシック
2003-04-23



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