October 02, 2020

平凡な会社員から40代で競輪の予想屋に…。松戸・渡慶次の良秀さん波瀾万丈人生を語る – 日刊SPA! https://nikkan-spa.jp/1703021
>2020年10月01日
>佐藤永記
>人生は何がきっかけで変わるかわからない。それは新たな人との出合いなのか、はたまた転勤や異動なのか……。今回紹介するのは「鐘の音を聞いて人生が変わった」という男だ。それまで会社員だった男が“鐘の音”を聞いて転職したその職業とは、競輪の予想屋だった。
23 柔和な笑顔で出迎えてくれた松戸競輪の予想屋・渡慶次の良秀さん。その波瀾万丈に人生に記者も思わず聞き入ってしまった https://nikkan-spa.jp/wp-content/uploads/2020/09/2020-08-12-09.49.23.jpg
>競輪の売上が絶頂期だったのは昭和末期。しかも当時は電話・ネット投票など普及しておらず、車券を買うならレース場か場外発売所しかない時代だ。おまけに日本はバブル絶頂。カネが溢れてしかたない時代である。良秀さんの「渡慶次情報」は絶好のタイミングで開業したことになる。
>良秀さんが一番稼いだのは1989年の年末。立川競輪場で開催予定だった競輪界最大のレースである競輪グランプリが労使交渉の決裂で中止となる出来事があったときだ。中止となったのは競輪グランプリだけではなく、同時に立川で開催される予定だった3日間のレースすべてが中止となったことで、年末の大勝負を立川でしようと思っていた競輪ファンが向かったのは、裏開催だったはずの松戸競輪場だったのである。
>年末3日間の開催に押し寄せたファンに対し、「渡慶次情報」の予想は飛ぶように売れた。予想の料金は1レースにつき100円なのだが、3日間で集まった100円玉を銀行に持っていき数えてもらったところ、その数なんと2800枚。つまり3日間で28万円も予想が売れたのである。
>「あまりの数の100円玉に銀行員の方から『お客さん、自動販売機の会社の人ですか?』って聞かれちゃいましたよ。いえいえ違います、そんなのやってませんと。おかしいなぁと、偽造硬貨でも持ち込まれたのかと思われたみたい(笑)」

良秀さん、会社勤めという安定と家庭を捨てて予想屋の世界に身を投じ、下積みというか修行期間はあったろうが、一本立ちするや即やって行けるだけの上がりを得て、そして僅かその2年後にピークを迎えたとは!ギャンブル人生の紛う事なき成功者だ。
 それとは別に、面白いなと思った。一体に、こういう公営競技の記事で売上どうこう語られる時って、60年代70年代、まあ要するに昭和の公営競技全盛期が取り上げられるものだ。そりゃ冷静に考えてみるとバブル期の方が売上はあったに決まってるけども(´-`).。oO
バブルズ
大野俊三
ユニバーサル ミュージック
2015-02-04



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