September 13, 2019

日本で初めて三連単が始まったとき。人生二度目のビギナーズラックと違和感<江戸川乞食のヤラれ日記S> ≪ 日刊SPA! https://nikkan-spa.jp/1603042
>2019年09月11日
>江戸川乞食
>これはまだボートレースが競艇と言われていた時代の話。
>住之江競艇場、平成12年(’00年)10月13日初日開催の第4回ブルースターカップ、ここから現在の舟券の主流である三連勝式の歴史が始まった。
>その後、住之江に続いて関東では11月1日の平和島競艇場初日開催から三連勝式の発売を開始することが決まっていて、当時はさまざまなメディアで告知されていた気がする。
>そして迎えた11月1日初日の開催。平和島「第45回日刊スポーツ旗争奪レース」……なんの変哲もない一般タイトル戦競走、しかし、客の空気は全く違っていた。
>一般戦の、しかも朝10時ちょいだというのにSG開催なみの混み具合、いくら三連勝式が本場のみの発売とはいえ、特観席の指定席が1R展示開始前に完売。
IMG_20171029_095932 平和島の水面 https://nikkan-spa.jp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_20171029_095932.jpg
>発売締切から出走、特観席の空気が緊張する、最初の三連単舟券を当てたい、という空気がなんとなく記念の準優や優勝戦を見ているような空気を作り出していた。

最後に三連単が導入された競馬ですら2004年、って事はキャリア15年未満のバクチ打ちはみんな三連単前提で入って来てるのか。今さらながらに隔世の感がある。「(競馬で)馬連なかった ━━ 単勝・複勝・枠連しか賭式がなかった ━━ 頃はどうやって(馬券戦術組み立て)たんですか」なんて訊かれた事すら遥か遠い昔の話なんだなあ…とただただ感慨に浸るのみだ。
 競輪の三連単導入は翌2001年の暮れ、やはり開催本場のみの発売だったため、わざわざ前橋まで足を運んだものだ。33バンクの前橋なら予想もし易いだろう…という読みだったのだが、しかし車券オヤジは意外と大人しいというか活気がなく、「いざ三連単!」みたいな空気はなかった。自分だけが気負ってたのか、変に静かなグリーンドームに肩透かしを食らい、メタメタに負けた。
 オートレースに於いては翌春。つっても最初は山陽だけで、首都圏エリアではゴールデンウィークの川口まで待たなければならなかった。いかにG.W.とはいえ、まだオートレースもそこまで斜陽ではなかったとはいえ、1万5千を超える入場者数には三連単パワーの底力を思い知らされた。そしてこちらでは、確かに三連単への期待感とか高揚が感じられたものだ。それが今や普通。日常。いやもう何つうか('A`)
デュオ&トリオ・インプロヴィゼイション(紙ジャケット仕様)
デレク・ベイリー
ユニバーサル ミュージック クラシック
2003-08-27



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