May 16, 2016

「さようなら」はもはや死語?…7割「使わない」と回答、永遠の別れをイメージ http://www.sankei.com/west/news/160515/wst1605150017-n1.html
>関西の議論2016.5.15 17:00
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>大阪・ミナミの南海難波駅前。ここで、20〜70代の男女30人に、「さようなら」、もしくは関西弁の「さいなら」を使うかと質問してみると、ちょうど7割の21人が「使わない」「ふだん使わない」と答えた。
>「『さようなら』『さいなら』も使わないですね。友達同士だと『ほなまた』と言っている気がする。仕事では、相手が上司だと『お先に失礼します』、同僚だと『おつかれさまでした』です」
>大阪府和泉市の会社員の男性(23)はそう答えた。「『さようなら』という言葉は、もう会わないような気がするので、使わない。冷たい感じもします」と説明する。
>「『さようなら』は会うのが最後みたいで嫌い」という理由で、「仕事場でもプライベートでも『また、あした』という言葉を使う」と語ったのは、大阪府岸和田市のホテル社員の女性(41)。仕事場では「また、あしたもよろしくお願いします」、週末は「また来週もよろしくお願いします」と別れのあいさつをするという。「あしたにつなげる言葉にしたい」という配慮だ。
>一方、奈良県広陵町の会社員の女性(40)は、「さようなら」に対し、「うそっぽい」「しらじらしい」と感じると打ち明けた。友達と別れるときは「じゃあ」か「おつかれさま」、仕事の上司には「おつかれさまです」を使うという。女性は「『さようなら』は、小学校のホームルームで担任の先生に言って以来、使っていないかな」。
>岩波書店の「広辞苑」(第六版)で、「さようなら」を調べると、「別れの挨拶語」とあり、「左様なら」と漢字をあて、「元来、接続詞で、『それならば』の意」と説明している。
>それこそ、「それならば」、人々が使うと答えた「じゃあ」や「ほなまた」と本来、同じ意味ということになる。
>小学館の「日本国語大辞典」(第二版)では、「『さようならば』の変化した語」と説明。「先ず『ごきげんよう』『のちほど』などの他の別れの表現と結びついた形で用いられ、次いで近世後期に独立した別れのことばとして一般化した」としている。また「そんなら」などと比べ、「丁寧な言い方」としている。「永遠の別れ」というような記述はない。
>「さようなら」は、長い間、広く別れのあいさつとして用いられたのだろう。実際、戦後間もない頃の映画などを見ると、「さようなら」はごく普通に使われていたことが分かる。
>「さようなら」よりやや短い「さよなら」という言葉もあり、日本語の言葉遣いに詳しい真田信治・大阪大名誉教授(70)=日本語学=は「10、20代の頃は『さよなら』というのが普通だった」と思い出す。
>「『さようなら』はもともと、現代人が使う『じゃあ』などと同じ意味だったが、日常の言葉から離れ、神格化している」と指摘する。
>その神格化のイメージの一つが「別れ」で、たとえば、葬儀での出席者のあいさつや、夫婦間で離婚する際の書き置きなどに「さようなら」が用いられるという。
>「現代で『さようなら』が話されるのは、教室や講堂で先生が生徒や児童に帰り際のあいさつをする場合など、『一対多』の場面にほぼ限られる。『一対一』では、ほとんど言われなくなっている」と分析。「『さようなら』は書き言葉としては残っているが、話し言葉としては死語になりつつある」

言われてみれば、今のTV番組もエンディングで「また来週〜」だよな。これが「さようなら〜」だったら、この人卒業か、それか番組打ち切りか…ってなっちゃうもんな。俺の子供時分は日テレ『日曜洋画劇場』で淀川長治が毎週毎週「いやー映画って本当にいいものですね、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」って、あれは今生の別れなんて微塵も感じさせなかったけども。
 と、テレ東『ウイニング競馬』のMC・ジャングルポケット斉藤は番組終わりで「さようなら」って言う事あるよな、と。飯塚&山陽オートのCS中継MCの内野さんは、いつも「さようなら」だ。あれ、俺は違和感を覚えてたんだけど、そうか日本語的には間違いでも何でもなかったんだな、と認識を新たにした次第( ´-`)y-~~~

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