December 19, 2014

今こそ、80年代パ・リーグを熱く語れ! あの熱気、“珍都市伝説”はなぜ生まれたのか?|週プレNEWS http://wpb.shueisha.co.jp/2014/12/19/40722/
>[2014年12月19日]
>80年代パ・リーグ。それは、全国放送もない世界の隅っこで男たちの意地とプライドが飛び交う、異様な熱気に支配された独特の世界だった。
>“実力のパ”をうたうとおり、単純に“誰が一番強いのか?”を追い求めた意地の張り合いは、例えばロッテ・村田兆治が直球一本で南海・門田博光に挑み、迎える門田も村田の球を弾き返すためホンモノの鉄球を打ち込み血をしたたらせる。そんな鬼たちの世界だった。
>ルックスも、パ・リーグの「パ」はパンチのパかと思うほどパンチパーマにあふれ、これにダブルのスーツ、金のネックレス&ロレックス、黒塗りベンツと、そのファッションは任侠の世界そのもの。
>まるで、リアル“あぶさん”の如く二日酔いでホームランを打つ人間の凄味(すごみ)。銀座に飲みに行くため早く終わらそうと技術を凝らす妙味。そんな生身すぎる明快さと、勝負に対する狂気的なエゴが異様な熱気となっていたのである。
>だが、球場はガラガラ、テレビ中継はほぼゼローー。グラウンドでは前日の酒がほのかに残るパンチパーマの男たちが、己のプライドをかけて、むき出しの感情をぶつけ合うが…。
>スタンドでは流しそうめんが行なわれ、「球場の売店で閑古鳥が焼き鳥として売られていた」とも噂される当時のパ・リーグ。
>大阪球場では「ガラガラすぎて三塁側のスタンドから一塁側にいたビールの売り子を呼べた」、川崎競輪に隣接する川崎球場では「打鐘(じゃん)が鳴るたびにお客が競輪を見にスタンド上部に上っていた」「日曜日にロッテがビックリマンチョコを配布するも、配り終えたら誰もいなくなってしまった」との逸話も。
>実際、川崎球場の外野席ではキャッチポールする学生たちすらいたほどだ。
>このほか「阪急沿線のとある駅には試合日になると“ご自由にお取りください”と西宮球場のタダ券が放置されていた」「パ・リーグの球場は西武(球場)以外サンポールのニオイ」などなど、今では想像もつかない情緒的光景があったのだ。
>今となっては懐かしい、嘘のような漫画のような世界だが、なぜか愛おしくも語り継ぎたい風景がそこにはある。
>(取材・文/パシフィック・リーグ1980研究会)

80年代までは野球人気は巨人一強で、「アンチ巨人」という人種も少なからず居たほどだ。だからシーズンで巨人と対戦しないパ・リーグは、必然的に人気面では蚊帳の外だった。

 >川崎競輪に隣接する川崎球場では「打鐘(じゃん)が鳴るたびに
  お客が競輪を見にスタンド上部に上っていた」

当時は競輪もそれなりの人気だった…が、レースそのものに関心があった訳では全くない。競輪を観たいやりたい人は最初からそっちに行くのだからして。タダ券で暇潰しのためだけに野球場に来るような人が退屈して、そんな時に、たまたま隣に有った競輪場が格好のチェンジオヴペースとして機能したというだけだ。別に競輪でなくても、競艇でもオートでも何でも良かったのだし、そもそも彼らは競輪の何たるかも解ってなかったろう。
 競輪ネタではもう一つ、

 >「試合日になると“ご自由にお取りください”と西宮球場のタダ券が
  放置されていた」

どこの球団もタダ券は撒いてたと思うが、こうまでアカラサマにやってたのか。そしてこの当時、西宮球場はどっちが本業なのか、野球の非試合日にグラウンド上バンクを設置して競輪を開催してた。組立も解体も結構なコストが掛かって、それでも野球開催より儲かったそうだ(だから球団や選手も文句を言えなかった)。…改めて、当時のパリーグのファンタジー振りが伺えるな( ´-`)y-~~~

ジ・アザー・サイド・オブ・ミッドナイト:ライヴ・イン・ニュー・オーリンズ
ジ・アザー・サイド・オブ・ミッドナイト:ライヴ・イン・ニュー・オーリンズ

アーティスト:ギャラクティック
販売元:Pヴァイン
発売日:2011-04-26

  • このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメントする

名前
 
  絵文字