August 30, 2014

【饅頭こわい〜】東京中日スポーツ賞 http://race.sanspo.com/nationalracing/news/20140828/nranws14082822570014-n1.html
>2014.8.28 22:57
841c85d3.jpg パドックでのアマゾンオペラ。産経賞オールカマー出走時 http://race.sanspo.com/nationalracing/images/20140828/nranws14082822570014-p1.jpg
>先週の札幌記念。現地は盛り上がっていましたよ。いや、テレビで見ただけですけど…。上空からの映像はまるでGIのような人の多さ。4万6000人ですって。まあそのフィーバーぶりは、函館競馬場で行われたゴールドシップの1週前公開調教のときにもうあらわれていましたけどね。その数620人。その後札幌でのハープスターの追い切りには420人。いやーみなさん熱心ですね。調教が始まって、どれがゴールドシップ? どの馬がハープスターなの? って見つけられなかった方、いませんでしたか? お目当ての登場を前に寝ちゃった方、いませんでしたか?
>朝。いや、まだ夜といったほうがいいのか空は暗く、明ける気配がない。待ち合わせ場所も特に決めていたわけではなく、競馬場へ行けばいいもんだと思っていた。船橋競馬場の周辺には人の気配がなく、当時はまだ携帯電話の存在も身近ではなかったので連絡の取りようもない。この日、アマゾンオペラが産経賞オールカマーへ向けて追い切られるのである。とにかくSさんを探そう。1995年−。競馬専門紙で働いていた私は、船橋担当のSトラックマンに追い切りを見たいとお願いしており、真っ暗な競馬場内をウロウロしていた。
>記者席になんとかたどり着き、知った顔ぶれに会いホッとする。トラックマン。仕事中は常にピリピリしているのだろうと想像していたが、そうではなかった。緊張と緩和。集中して時計をとっているかと思えば、大きな笑い声が響く。私もその話を聞いたり、聞かなかったり。ムニャムニャ…。あれ、寝ちゃうの俺? 気がつけば日差しがまぶしい。そしてクライマックスはあっという間。談笑していた記者やトラックマンが急に静かになったと思ったら、皆双眼鏡をのぞき、ストップウオッチで時計をとり始めている。あれっ、始まってんの? どこよ、みんなどこ見てんの!? と目をこすり、慌てて馬場に目をやる。すると何十頭もいる馬のなかでも1頭、ひと際すごい勢いで直線を駆け抜けた馬が。「うーん、ちょっと重いかな。でもこれでちょうど良くなるって感じか」と、どこかの社のトラックマン。えっ? 終わっちゃったの? はい、あっけなく終了しました。
>1995年9月18日(月)。台風の影響で月曜日に順延された中山競馬。初芝か、それともそれ以前の問題か、アマゾンオペラは8着。
>後悔先に立たず。これが初めて調教を見学したときの思い出です。今回ゴールドシップとハープスターの公開調教を見た方々は、後悔調教にならなくてよかったですね。なんて。
>■細井 厚志(ほそい・あつし) サンスポ予想王TV所属。某競馬専門紙を経て、2012年7月よりサンスポレース部へ。同年10月からは予想王TV所属に。好きな馬券は単勝・複勝。競馬にまつわるアレやコレを思いつくまま書いていきます。最近は関係ないことの方が多いですけど…。

良い文章だよな。単に回顧とかノスタルジーじゃなく、ここには細井記者だけのドラマが確かに有る。
 …てな訳で、その頃どんなだったか、俺も想起してみる。オッサンになると、若い頃=古い記憶の方が結構覚えてるのに対し、逆に近年の記憶の方が前後関係が曖昧だったりするものだ。もちろん細部を取り違えて記憶してたり美化してたりするが、95年の後半に限れば結構な俺的イヴェントが多発してたので、20年近く前とはいえ(ところところではあるが)、やたら克明に記憶してたりする。
 このオールカマーの前月、初めて新潟競馬場へ行った。新潟駅→競馬場のバスは当時、確か片道290円の往復チケット500円で、それまで競馬場といえば大井と浦和しか行った事なかった俺は「えっカネ取んの(=無料バスじゃないの?)→ちょと待て290円って結構距離あんじゃね?」と、情報も何もないイナカモノ状態。でもってそのバスが走るのが、一般国道なのに信号のない高規格道路なもんだからから「田中角栄(=大昔の総理大臣。新潟3区選出)すげえ」と思ったものだ。しかしそれを下りた途端に大渋滞。全く動く気配がないのに焦れたオヤジ連中が運転手に訴えドアを開けさせ(←本当は違法)ゾロゾロ歩いて行くのに従って、何とか競馬場に着いた時には昼を回ってた。
 まだ右回りの新潟は、とにかく初めてだったから見るもの全てが新鮮で、でも写真も何も撮ってない。デジカメはまだ持ってなかったし、ケータイも高かったし、当然ネットもブログもやってない。つか、とてもそんな余裕はない、とにかく精神的にいっぱいいっぱいだった。
 それでも9レースだったか10レースだったか、中穴獲ったと喜んでたらまさかのマークミスで天国から地獄。メインのGIII新潟記念は、各紙の印から1番人気であろうアイリッシュダンスをパドックで一目見て「太い!」と、馬体重が発表されるより前に思って、そしたら案の定二桁増。こりゃエエわと蹴飛ばしたら、万全ではない状態を上回る絶対能力でアッサリ勝たれて終了。この頃はまだ他場場外発売をしてなくて、だから泣きの一回は選択肢もヘッタクレもない新潟最終レースだけ。しかし無い知恵絞っても全く見えて来ず、泣く泣く撤収。社の連中に土産の笹団子だけ買って、本人は海の幸も米ドコロの酒も口にせずの淋しい帰京と相成った。
 そしてオールカマーの翌々月(=11月)、マイルチャンピオンシップはメイショウテゾロで固いと周囲に吹きまくった。新馬→特別→重賞を“直一気”“スローに落として逃げ切り”“好位抜け出し”、のレース振りには「コイツは大物だ」と唸らされた、クラシックは距離が合わなかったから度外視、秋緒戦のスワンステークスでも頭から狙った身としては、もう一度追い掛ける価値はあるぞ、と。相手はマイルで新味が出るかもと思ったマーベラスクラウン、もう一頭は、ドージマムテキかトロットサンダーかで悩んで悩んで悩んだ挙げ句ドージマを選択(この当時「3頭に絞れないレースはやらない」ってのが俺ルールだった)。
 それで何だったか、買いに行けない用事があって(この当時は電話投票が今ほど普及しておらず、つうかコンピュータも容量不足からJRAも限定的な募集しか掛けず、だから抽選に応募しても外れるのが当たり前だった)、だから同僚にカネ渡して買い目頼んで帰宅…の最中、新聞を見返してるうち、同時に頼んだ福島記念の自信がどんどんなくなって来た。かくて家に着くや電話に飛び付きカクカクシカジカ、「福島記念やめます、その分はメイショウの単複に、あとタテ目のマーベラス=ドージマやめてメイショウ=トロットにしてください」と。同僚も「ウン、単複買うぐらいメイショウに気かあるんだったらそっちの方が良いよ」と同意後押ししてくれた。で、最後に拾った目でズバリ。この十万馬券は今も更新されない人生最高的中配当となっている(三連単でなく馬連だというのに)。払戻金は、同僚に手間賃で1割渡し、残りは今のマンションに引っ越す時の仲介手数料・運送業者への料金・敷金・礼金でほとんど消えた。まあ引っ越し1回500円と思えば快挙な訳で、これは俺の人生で間違いなく5本の指に入るピークだ。
 …そりゃ覚えてるわ。過去の栄光とはいえ…いや、だからこそというべきか。とはいえ、たまには記憶の煤払いと言うか、脳ミソの錆落としはそれなりに意義る事だ。まだまだ老け込む訳には行かん(`・ω・´)!

MJQ/オスカー・ピーターソン・トリオ・アット・オペラ・ハウス
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アーティスト:モダン・ジャズ・クァルテット
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