June 06, 2014

桶狭間はこっちのもんだぎゃぁ 名古屋市緑区vs.豊明市 http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXBASFD08004_T20C14A5CN8000&uah=DF160520148649
>2014/6/6 6:30
3929e730.jpg 桶狭間古戦場公園に建つ織田信長(左)と今川義元の銅像(名古屋市緑区) http://www.nikkei.com/content/pic/20140606/96958A9093819496E2EAE2E2E68DE0E1E2E7E0E2E3E6919CEAE2E2E2-DSXBZO7225128004062014000001-PN1-17.jpg
44db1311.jpg 愛知県豊明市にも「桶狭間古戦場伝説地」がある http://www.nikkei.com/content/pic/20140606/96958A9093819496E2EAE2E2E68DE0E1E2E7E0E2E3E6919CEAE2E2E2-DSXBZO7220222003062014I00001-PN1-24.jpg
>名古屋鉄道中京競馬場前駅から数分歩くと、豊明市側の「桶狭間古戦場伝説地」が現れる。明治時代にできた義元の墓や、義元やその重臣が戦死した場所として江戸時代に建てられた7つの石碑などが並ぶ。
>1937年に史跡として国から指定を受けており、地元団体「桶狭間古戦場祭保存会」(豊明市)の内藤四郎会長(77)は「国から指定を受けたのはここだけ」とアピールする。
>古戦場伝説地から南西に約1キロ。名古屋市緑区にあるのは「桶狭間古戦場公園」だ。2010年、義元と信長の銅像を建立。石や小道などを配置し、桶狭間の戦いに登場する城やとりで、街道に見立てたジオラマもつくった。義元の馬をつないだとされる「ねずの木」や墓碑もある。
>08年設立の地元団体「桶狭間古戦場保存会」(名古屋市緑区)の梶野泉会長(65)は「(緑区には)信長が義元を討ち取った後、村人に戦死者を埋葬するよう命じた塚がある」と譲らない。
4fa9da8e.jpg http://www.nikkei.com/content/pic/20140606/96958A9093819496E2EAE2E2E68DE0E1E2E7E0E2E3E6919CEAE2E2E2-DSXBZO7220246003062014000001-PN1-21.jpg
>「桶狭間の戦い」を扱った書籍の出版が相次ぎ、「本家」論争に火が付いたといわれる。論争が決着しない背景には、数少ない歴史文書の解釈が何通りにもできることがある。中近世史を専門とする名古屋市博物館の鳥居和之学芸課長(60)は、桶狭間の合戦を描いた江戸時代の絵図はあるが、「現在の地形にあわない」と指摘。合戦に関して記した「信長公記」も武将の動きなど記述はあるが、桶狭間に向かう道のりに関する記載は少なく、鳥居課長は「新たな資料などが出ない限り、論争は決着しない」とみる。
>双方が一歩も譲らない理由はもう一つある。観光資源としての「桶狭間」の魅力だ。450年に当たる10年前後から、歴史好きの観光客を呼び込むためのPRを展開。豊明市では約20人、緑区では13人のボランティアガイドをそろえ、観光客を無料案内する。緑区の13年の案内者数は5年前の100倍の約1万人に上る。もっとも、戦国時代の古戦場の「長篠の戦い」や「小牧・長久手の戦い」では地元に資料館があるのに対し、「桶狭間の戦い」にはないことが観光客誘致のネックとみる。
>それぞれの地で毎年「古戦場まつり」を開催。愛知県が今秋、大高緑地(名古屋市緑区)で開催する武将祭り「あいち合戦ワールド」には、ともに“出陣”するつもりだ。開催場所は桶狭間に近いことが決め手の一つとなった。愛知県は「2つまとまってPRした方が武将を通じた観光振興につながるのでは」と融和に期待を寄せる。
>現代まで熱いバトルが続く「桶狭間の戦い」。そんな歴史に思いをはせれば、今までとは違った「桶狭間」を楽しめるかもしれない。(名古屋支社 小林宏行)


 >県は「2つまとまってPRした方が武将を通じた観光振興につながるのでは」と融和に期待

目黒のさんま祭りだって商店街主催のと目黒区民祭りとで別日に目黒駅の逆サイドでやるし、でも2週に渡ってやる事で宣伝効果も高まるって側面もあるし、だから桶狭間も無理に融合する事もあるまいて。しかし中京競馬場前駅ねえ…。
 去年の今頃、テレ朝『タモリ倶楽部』で「千年前のロードマップ 奈良・平安の東京古道を行く!?」という企画があった。武蔵国の国府である府中、の大国魂神社を起点とする三街道のうちの品川道は海(=品川湊)につながる街道で、品川で汲んだ水を大国魂神社に運ぶ行事が今でも有るそうな。で、ここが品川道だという伝承は府中〜調布市にはそれなりに残ってるのだがその先、狛江駅の手前で部分的に分岐する。どちらか古いか判らないそうで、案内人の荻窪さん(本業はIT系のライター)曰く、南ルートに伊豆美神社という古い神社が有るからこちらの方が古いという説があるが、そもそもこの神社は多摩川の水害でここに移転して来たのが1500年代=室町時代の後期で、だから南ルートはそれほど古い道ではないんじゃないか(=北ルートが本来の街道ではないか)と推測する。
 で、そもそもこの品川道は大国魂神社の東門を出ると京所道(きょうずどう)を一路東へ、京王線府中競馬正門前駅と競馬場の間を通り、突き当たりを右に迂回すると緑地公園に出る。その中に国府八幡宮があり、この鳥居は西(=大国魂神社の方角)を向いている。そして左手=北=甲州街道側からこの八幡への参道が伸びてて、だからこの参道=北を向くと鳥居の向こうに京王競馬場線が見えるというw
 歴史ある街と競馬場の意外な関係だなあ、と( ´-`)y-~~~

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