June 06, 2012

 週アタマから

 「さあ今週6日は!」
 「ん!」
 「いよいよ!」
 「そう!」
 「待ちに待った!」
 「うおおおお!」
 「東京ダービーが!」
 「オイオイオイオイオイ(←『AKB総選挙』と来るのを期待していた)」

っつう会話が飛び交ってたウチの社も、三笠宮様逝去の報で一変。つかさ、皇居の一角である日本武道館でこんな事やってて良いのかよ。そりゃ2時間前にそんな事言われたって半旗を掲揚するだの人数分の喪章をだの、物理的に不可能だけども。後で「不謹慎だ」とか怒られないのかねえ('A`)?
NHK群馬県のニュース 前橋放送局 三笠宮さまご逝去 県内の反応 http://www.nhk.or.jp/lnews/maebashi/1065647891.html
>天皇陛下のいとこで「ひげの殿下」として知られる三笠宮寛仁さまが6日午後3時35分に亡くなられました。66歳でした。
>亡くなられた三笠宮寛仁さまは前橋市で開催された競輪の「寛仁親王牌」などでたびたび群馬県を訪問されました。
>元前橋市長の萩原弥惣治さん(78)は市長時代の平成8年、来県された寛仁さまを迎え、その後、親交を深めたということです。
>一緒にゴルフや食事を楽しんだほか、平成15年と、おととしには寛仁さまとともにトルコを訪問したということです。
>萩原さんは「本当に残念です。スポーツが万能だった殿下は、競輪にも情熱を注いでくださいました。また、トルコに向かう飛行機でもほかの人たちといっしょにエコノミークラスに乗るなどざっくばらんなお人柄で、平等に物事を考える方でした」と話していました。また、群馬県の大澤知事は、「突然のご逝去の報に接し、誠に悲しみに堪えません。殿下は平成8年に県で開催されたスポレクをはじめ寛仁親王牌など幾度となく来県いただき、県民にとってとても親しみ深い方でした。1日も早く回復されることを願っていましたが誠に残念です。200万県民とともに衷心より哀悼の意を表します」という談話を出しました。
>06月06日 20時53分

バクチ打ち的には、無礼を承知で言うが、三笠宮様というより寛仁親王であり殿下の方がピンと来る。俺が競輪デビューしたのは98年秋のオールスター競輪直後(から電話投票可能になった)、だから最初の特別競輪が寛仁親王牌だ。この時はそんな事になるとは思ってないからレース内容も全く記憶に残ってないが、翌99年(この年から7月開催になった)のそれの印象があまりに強烈だった。

 レース競走結果|KEIRIN.JP
 KEIRIN.JP|競輪資料室

逃げる中村美千隆‐小橋正義の3番手に付けていた児玉広志が、誰も来ないのに外道捲り放って優勝、小橋が色をなして怒ったレースだ。さらに翌年は、二日目の日曜に前橋まで足を運んでいる。生で特別競輪を観た最初だ。何かそういう、俺にとって結構縁深い存在として勝手に親しみを抱いていた。もちろん実際に接した人々は。寛仁親王牌を4度も制した小橋正義は何度目の時だったか、

 選手プロフィール|KEIRIN.JP

優勝インタヴューで「殿下から賜杯を戴けるのを楽しみにしていた」と発言している。後閑信一のブログからも、

 選手プロフィール|KEIRIN.JP

威張らず傲らずフランクなお人柄が伺える。

 「BOSS BLOG」: 寛仁親王殿下ご逝去 http://keio-blog.weblogs.jp/gokan/2012/06/post-cea4.html

思えば、親王牌が始まった当時は競輪のイメージはお世辞にも良いとは言えなかった訳で、そこに皇室から下賜頂ける有難さよ。今までありがとうございました、そしてこれからも天国から競輪を見守ってください(´・ω・`)

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