January 15, 2012

 2ちゃんねるやってて訃報に接したが、あまりにも唐突過ぎてどうにも信じられない。報知や日刊のソースを見てもなお「嘘何で」としか思えない。しかしJKAオフィシャルで出されると、嫌でも納得せざるを得ない。

坂井宏朱選手の殉職について http://autorace.jp/news/2012/0115_info/
>(社)全日本オートレース選手会船橋支部所属の坂井宏朱(サカイ ヒロミ)選手(第31期・享年27歳)は、平成24年1月15日(日)・船橋オートレース(平成23年度千葉県営第4回第2節2日目)の夕方練習中、第1コーナーにおいて単独落車し、かなりのスピードで緩衝柵に激突し、受傷しました。
>すぐにドクターカーが到着し、同選手に対し必要な処置が取られましたが、手当の甲斐もなく、頭蓋骨骨折により同日17時13分に死去(殉職)いたしました。
>謹んでご冥福をお祈りいたします。
>坂井宏朱選手のプロフィール
>期別 31期
>生年月日 昭和59年02月25日(享年27歳)
>登録年月日 平成23年07月08日
>通算成績 1着1回 2着0回 3着2回 着外19回

どんなぶつかり方したんだよ。夕練中の事故で死亡時刻17時13分って、ほとんど即死だ。緩衝柵の意味が…って、支柱のトコに運悪く行っちゃったんだろうか?
 デビューから僅か半年。

 >通算成績 1着1回 2着0回 3着2回 着外19回

選手としてはこれが全てだ。でも44年振りの女子選手っつう事で注目度は非常に高く、今節船橋開催は年始一発目という事もあって晴れ着姿で各新聞社アピールに回ってたほどだ、それから1週間も経ってない。現時点では全くのヘボで、オートレーサーは1級車乗り換わってからが本当の勝負とはいえ、それでもモノになるとはちょっと考え難く、でもその可能性はゼロでは決してない。何だかんだ言いつつ気に掛かる存在で、それがこんなに呆気なく…。競走中の事故ならいざ知らず夕練中の事故という事もあって本当に未だに実感が湧かない、どうしても「嘘何で」だ。同期も、師匠の永井も、船橋の仲間も、今節参加中の選手も、いや結局みんなか、やりきれないよなあ。一人ひっそりと、彗星の様に去って行った。合掌。

【追記】
【オートレース】「成長の年にしたい」 事故死した坂井宏朱さん、最後まで努力の人 http://sankei.jp.msn.com/sports/news/120115/oth12011521260035-n1.htm
>2012.1.15 21:25
b547aed0.jpg 晴れ着でサンスポ編集局を訪れた坂井宏朱選手=11日、東京・大手町 http://sankei.jp.msn.com/sports/photos/120115/oth12011521260035-p1.htm
>「できる限りのことを勉強して成長の年にしたい。1着を獲ることが目標」。千葉県の船橋オートレース場で死亡した坂井宏朱(ひろみ)さん(27)は11日に和服姿で東京・大手町のサンケイスポーツを訪れ、こう抱負を語った。
>OLからレースの世界に飛び込み、努力を重ねて44年ぶりの女性オートレーサーに。事故があったのも練習中、最後まで努力の人だった。
>オートレースの公式サイトなどによると、大学卒業後に旅行代理店に勤務していた坂井さんは平成20年、オートレースを観戦したことで「一目惚れした」。
>クラシックバレエ歴15年、チアリーディング歴3年。オートバイとは無縁の生活を送ってきた。訓練期間中には2度の落車に見舞われることもあった。しかし夢をあきらめずに練習を重ね、昨年7月30日のデビュー戦にこぎつけた。結果は8着と振るわなかったが、「この悔しさは一生忘れない」と前を向いた。
>目標は「ハンデなしで戦える選手になる」。最近は筋力強化のため、入浴や就寝のとき以外で0・5キロのバンドを足首につけていたという。
>12日夕方。最後となってしまったブログの更新では今年最初の練習の内容が書き込まれており、こうつづられていた。「明日も練習して、少しでも改善したいと思います」
【さらに追記】
女子オートレーサー坂井宏朱選手、激突死 http://www.sanspo.com/keiba/news/120116/kbd1201160508002-n1.htm
>2012.1.16 05:08
>オートレース界のプリンセス、坂井宏朱(ひろみ)選手が15日午後、所属の千葉・船橋オートレース場でレース終了後の夕方練習中にフェンスに激突、頭蓋骨骨折で死亡した。27歳の若さだった。OLから転身し44年ぶりの女子オート選手として話題となったが、デビューからわずか6カ月で帰らぬ人となった。
>オート界に衝撃が走った。この日、船橋オートは何事もなく開催を終了したが、約3000人のファンが家路についた後に悲劇は訪れた。
>事故が起きたのはゴール線から数十メートルの1コーナー付近。最終レース後の午後4時過ぎ、何台ものマシンが夕方練習に出ている中で起きた。
>後ろで走っていた鈴木一馬選手の話によると、坂井選手はゴール線過ぎから体勢を崩し、1コーナーで単独落車。先に体だけフェンスに当たり、その体が跳ね返った時に、自らのマシンと激突した。事故直後から意識はなく、付き添った選手によると全身打撲と頭蓋骨骨折で耳、鼻から出血、腹部も膨らんでいた状態だったという。すぐに救護室に運ばれるや、意識のない坂井選手に、師匠の永井大介、指導員補助の池田政和らが「坂井! 戻って来い! 聞こえるか! 戻って来い!」と、永遠に続けるかのように何度も何度も呼びかけ、心臓マッサージなども施されたが、手当のかいなく5時13分、ドクターから死亡が確認され、帰らぬ人となった。
>救護室前では、養成所で苦楽を共にした同期が立ちつくして祈りを捧げ、座り込んでずっと顔を伏せながら坂井選手の意識が戻るのを待ち望んだが叶わず。もうひとりの女子レーサー佐藤摩弥選手や、横浜から駆けつけた両親とも悲しい対面となった。
>坂井選手は法政大学を卒業後、JTB法人東京での企画営業を経て、オートレースの世界に飛び込んだ。44年ぶりのオートレース女子レーサーとして、佐藤摩弥とともに昨年7月にデビュー。オートレース発祥の地・船橋オート所属としてこれからの活躍が期待される矢先だった。
>11日には船橋オートをPRするため成人式の時に作った振り袖姿でサンケイスポーツ・編集局を訪問。「今年はできる限りのことを勉強して成長の年にしたいです」と健闘を誓った直後の悲劇。事故当日の1R(6着)が最後のレースとなり、颯爽と風を切る“ひろみ”の勇姿はもう二度と見ることはできなくなってしまった。
d0322bcc.jpg 坂井選手が夕方練習で使用していたマシン。衝撃の激しさを物語るように前輪がない
女子オートレーサー坂井宏朱選手、激突死 (3) http://www.sanspo.com/keiba/photos/120116/kbd1201160508002-p3.htm

愛機に命を奪われたのか…よりによって…(´・ω・`)

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