田中剛
April 14, 2013
【中山GJ】ガラリ一変!ブラック外国馬3頭目V - SANSPO.COM(サンスポ) http://race.sanspo.com/keiba/news/20130414/ope13041404040001-n1.html
>2013.4.14 04:03
名手ウォルシュに導かれ、中山グランドJを制したアイルランド馬ブラックステアマウンテン(右)=中山競馬場(撮影・佐藤雄彦) http://race.sanspo.com/keiba/images/20130414/ope13041404040001-p1.jpg
>第15回中山グランドジャンプ(13日、中山11R、J・GI、障害4歳上オープン国際、定量、4250メートル=直線芝、1着本賞金6500万円 =出走16頭)ルビー・ウォルシュ騎乗、8番人気の愛国馬ブラックステアマウンテンが、最終障害飛越後に先頭に立つと、2番人気のリキアイクロフネの追撃を1/2馬身差で振り切って快勝した。タイム4分50秒5(良)。外国馬の勝利は2002年セントスティーヴン(豪州)、05〜07年カラジ(豪州)に続く3頭目(のべ5勝)となった。1番人気バアゼルリバーは6着に敗退した。
>「勝てて非常にうれしい。ペガサスJSは残念な結果だったが、そのときの経験をしっかりと生かせた。距離延長も良かったが、きょうは前回と全く別馬だった。最後の障害を跳んで勝てると思った」とルビー・ウォルシュ騎手が喜びを爆発させる。
>2000年にパピヨン、05年ヘッジハンターで障害レースの最高峰といわれる英国のグランドナショナルを制した手腕は異国の地でもさえ渡った。
>追走一杯だった前走とは違い、スタート直後から中団を進んだ。大竹柵、大土塁はもちろん、ハードル障害でも1度もミスなく安定した飛越。前走はあくまでも試走、これが本来の姿だったのだ。直線の最終障害をクリアして先頭に立つと、ジョッキーの大きなアクションにこたえて押し切った。
>ウィリアム・マリンズ調教師は「(12月の)中山大障害は自国でもシーズン中のため、参戦は難しいかもしれないが、来年の中山GJにはぜひ参戦したい」と連覇に向けて早くも意欲を見せていた。(片岡良典)
まんまとしてやられた。外国馬が初めて参加したのは第2回か、その時は高難易度とされてる大障害コースはヨーロッパ基準では大した事ないし、むしろスピード重視のレース形態に合わす速さ負けした…っつう陣営のコメントに驚かされたものだ。田中剛が日本の障害第一人者としてバリバリだった頃の海外研修でグランドナショナルに乗せてもらえる事になって、最初の障害で落馬した…っつう話を当時は笑ったけど認識を一変させられた、本当全然違うんだよな。アメリカンダートとジャパニーズダートぐらい別物で、だから海外競馬通ぶって「日本馬もグランドナショナル挑戦するべき」なんつう発言すると屁が出るほど笑われるし、逆に外国馬も日本競馬にきちんと対応出来る馬でないと勝ち負けなどまず無理だ。で、そのブラックステアマウンテンの来日緒戦見たらまず買えないもの。きっちりアジャストしてくるとはねぇ。今にして思えば勝算なきゃ来ないか。
http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/ngj/result/ngj2013.html>JRAホームページ|データファイル 第15回中山グランドジャンプ(J・GI)の結果 http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/ngj/result/ngj2013.html
>勝馬の情報
>勝 馬 [外]ブラックステアマウンテン
>[せん8・鹿毛]
>戦 績 30戦11勝(内障害26戦8勝)
>日本 2戦 1勝(内障害 2戦1勝)
>海外 28戦10勝(内障害24戦7勝)
>獲得賞金 92,160,000円
>日本 65,560,000円
>海外 約26,600,000円
今まで稼いだ賞金の2.5倍を一走で得ちゃうんだもんな、そりゃ平地組が冷やかしでジャパンカップに出るのとは本気度が違うわ。…にしても、その田中剛が今や調教師で、でもって旧八大競走の一つである皐月賞を管理馬で制しちゃうんだもの。俺も歳を取った(´・ω・`)
http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/satsuki/result/satsuki2013.html>JRAホームページ|データファイル 第73回皐月賞(GI)の結果 http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/satsuki/result/satsuki2013.html
>2013.4.14 04:03
名手ウォルシュに導かれ、中山グランドJを制したアイルランド馬ブラックステアマウンテン(右)=中山競馬場(撮影・佐藤雄彦) http://race.sanspo.com/keiba/images/20130414/ope13041404040001-p1.jpg
>第15回中山グランドジャンプ(13日、中山11R、J・GI、障害4歳上オープン国際、定量、4250メートル=直線芝、1着本賞金6500万円 =出走16頭)ルビー・ウォルシュ騎乗、8番人気の愛国馬ブラックステアマウンテンが、最終障害飛越後に先頭に立つと、2番人気のリキアイクロフネの追撃を1/2馬身差で振り切って快勝した。タイム4分50秒5(良)。外国馬の勝利は2002年セントスティーヴン(豪州)、05〜07年カラジ(豪州)に続く3頭目(のべ5勝)となった。1番人気バアゼルリバーは6着に敗退した。
>「勝てて非常にうれしい。ペガサスJSは残念な結果だったが、そのときの経験をしっかりと生かせた。距離延長も良かったが、きょうは前回と全く別馬だった。最後の障害を跳んで勝てると思った」とルビー・ウォルシュ騎手が喜びを爆発させる。
>2000年にパピヨン、05年ヘッジハンターで障害レースの最高峰といわれる英国のグランドナショナルを制した手腕は異国の地でもさえ渡った。
>追走一杯だった前走とは違い、スタート直後から中団を進んだ。大竹柵、大土塁はもちろん、ハードル障害でも1度もミスなく安定した飛越。前走はあくまでも試走、これが本来の姿だったのだ。直線の最終障害をクリアして先頭に立つと、ジョッキーの大きなアクションにこたえて押し切った。
>ウィリアム・マリンズ調教師は「(12月の)中山大障害は自国でもシーズン中のため、参戦は難しいかもしれないが、来年の中山GJにはぜひ参戦したい」と連覇に向けて早くも意欲を見せていた。(片岡良典)
まんまとしてやられた。外国馬が初めて参加したのは第2回か、その時は高難易度とされてる大障害コースはヨーロッパ基準では大した事ないし、むしろスピード重視のレース形態に合わす速さ負けした…っつう陣営のコメントに驚かされたものだ。田中剛が日本の障害第一人者としてバリバリだった頃の海外研修でグランドナショナルに乗せてもらえる事になって、最初の障害で落馬した…っつう話を当時は笑ったけど認識を一変させられた、本当全然違うんだよな。アメリカンダートとジャパニーズダートぐらい別物で、だから海外競馬通ぶって「日本馬もグランドナショナル挑戦するべき」なんつう発言すると屁が出るほど笑われるし、逆に外国馬も日本競馬にきちんと対応出来る馬でないと勝ち負けなどまず無理だ。で、そのブラックステアマウンテンの来日緒戦見たらまず買えないもの。きっちりアジャストしてくるとはねぇ。今にして思えば勝算なきゃ来ないか。
http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/ngj/result/ngj2013.html>JRAホームページ|データファイル 第15回中山グランドジャンプ(J・GI)の結果 http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/ngj/result/ngj2013.html
>勝馬の情報
>勝 馬 [外]ブラックステアマウンテン
>[せん8・鹿毛]
>戦 績 30戦11勝(内障害26戦8勝)
>日本 2戦 1勝(内障害 2戦1勝)
>海外 28戦10勝(内障害24戦7勝)
>獲得賞金 92,160,000円
>日本 65,560,000円
>海外 約26,600,000円
今まで稼いだ賞金の2.5倍を一走で得ちゃうんだもんな、そりゃ平地組が冷やかしでジャパンカップに出るのとは本気度が違うわ。…にしても、その田中剛が今や調教師で、でもって旧八大競走の一つである皐月賞を管理馬で制しちゃうんだもの。俺も歳を取った(´・ω・`)
http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/satsuki/result/satsuki2013.html>JRAホームページ|データファイル 第73回皐月賞(GI)の結果 http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/satsuki/result/satsuki2013.html
ippachi_bakuchiuchi at 20:26│コメント(0)
May 06, 2011
ニュース映像 http://news.tbs.co.jp/asx/news4718105_12.asx
豪、馬がレース中に観客席へ乱入 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4718105.html
>オーストラリアで行われた競馬のレース中、観客席に馬が乱入し、7人がけがをしました。
>突然、コース以外の場所から観客席に勢いよく飛び込む馬。オーストラリアのビクトリア州で行われた競馬レース中にジョッキーが落馬、馬はそのまま高さおよそ3メートルもあるフェンスを飛び越え、観客席に乱入しました。
>「叫ぶ人や地面に横たわっている人がいたりして、とにかく混乱していました」(目撃者)
>当時、周辺には観客およそ50人がいて、2歳の女の子が鎖骨を折るなどして7人が負傷しました。さらに、このレースに出走していた8頭中、6頭が次々と転倒。ジョッキーに大きなけがはなかったものの、レースを主催した会社はコースの設定や安全基準などに問題がなかったかどうか、調査することにしています。(06日03:14)
(((((゚д゚)))))ガクガクブルブル 全くノーマークのトコから馬が降って(!)来るんだものなあ、そら客も怪我するわ。にしても高さ3mって、中山大障害の倍近い高さ。JRAが障害競走をジャンプレースと改称し国際解放して間も無くヨーロッパから遠征して来た馬が何頭か居たが全く振るわず、「日本の障害は『スティープルチェイス』じゃない、『ハードル』だ」と吐き捨てそれっきり来ないもんな。現調教師の田中剛が騎手時代、ヨーロッパ研修中にグランドナショナルに参加する機会を得たが最初の障害で落馬した事も有った、日本の障害競走とは何から何まで全くの別物だわな( ´-`)y-~~~
豪、馬がレース中に観客席へ乱入 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4718105.html
>オーストラリアで行われた競馬のレース中、観客席に馬が乱入し、7人がけがをしました。
>突然、コース以外の場所から観客席に勢いよく飛び込む馬。オーストラリアのビクトリア州で行われた競馬レース中にジョッキーが落馬、馬はそのまま高さおよそ3メートルもあるフェンスを飛び越え、観客席に乱入しました。
>「叫ぶ人や地面に横たわっている人がいたりして、とにかく混乱していました」(目撃者)
>当時、周辺には観客およそ50人がいて、2歳の女の子が鎖骨を折るなどして7人が負傷しました。さらに、このレースに出走していた8頭中、6頭が次々と転倒。ジョッキーに大きなけがはなかったものの、レースを主催した会社はコースの設定や安全基準などに問題がなかったかどうか、調査することにしています。(06日03:14)
(((((゚д゚)))))ガクガクブルブル 全くノーマークのトコから馬が降って(!)来るんだものなあ、そら客も怪我するわ。にしても高さ3mって、中山大障害の倍近い高さ。JRAが障害競走をジャンプレースと改称し国際解放して間も無くヨーロッパから遠征して来た馬が何頭か居たが全く振るわず、「日本の障害は『スティープルチェイス』じゃない、『ハードル』だ」と吐き捨てそれっきり来ないもんな。現調教師の田中剛が騎手時代、ヨーロッパ研修中にグランドナショナルに参加する機会を得たが最初の障害で落馬した事も有った、日本の障害競走とは何から何まで全くの別物だわな( ´-`)y-~~~
August 02, 2009
障害の名手 田中剛騎手が引退 http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/race/news/CK2009073102000130.html
>2009年7月31日 紙面から
>障害の現役最多勝ジョッキーで、関東最年長の田中剛騎手(48)=美浦・フリー=が引退を決意した。30日までに本紙の取材で明らかになった。度重なる落馬により頸椎、心臓、ヒザなどを19回も手術。満身創痍(そうい)の状態で騎乗を続けてきたが、主治医の進言を受け入れ、30年間の騎手生活に別れを告げる。
>闘志むき出しの騎乗はもう見られない。田中剛の体力は、数え切れない落馬後遺症のダメージで限界に来ていた。06年6月3日、サンダーロールに騎乗して史上3人目の障害200勝を達成。その頃からクビに異常があった。神経が圧迫されて手術でも完治せず、指のしびれなどが残った。
>主治医には数カ月前、危険が大きすぎることから障害騎乗を止められた。平地騎乗なら可能かどうかを模索していたが、ついに現役続行を断念する。今回の病名は「変形性頸椎(けいつい)症」。頸椎の骨が2カ所つぶれた状態で、回復は極めて困難と診断されたという。
>田中剛は競馬学校の前身である馬事公苑の長期騎手課程を経て、1979年に柄崎義信きゅう舎から騎手デビュー。少年ボクシングで鍛えた屈強な体、強気な性格を武器に頭角を現していった。2年目にカチウマタローで中山大障害(秋)を制覇し名を高めた。その後、落馬負傷を繰り返したが不屈の闘志でカムバック。障害を代表するジョッキーの地位を築いた。海外遠征も積極的に行い、95年には日本人で初めて英グランドナショナルに騎乗(ザコミッティ、落馬)。ファイトあふれる騎乗は支持者が多かった。
>しかし、負傷は体の奥深くをむしばんでいた。体力の限界を痛感、年齢的なことも考え、今後は10月の調教師試験の勉強に本腰を入れる。5月31日の青嵐賞のミウラリチャード(9着)が最後の騎乗となった。JRA通算364勝で、うち障害は207勝。優秀障害騎手賞を5回、最多勝利障害騎手賞を3回受賞している。
>田中剛騎手「悩み、考えた末に引退を決めました。思い出はありすぎますが、初めて中山大障害を勝たせてくれたカチウマタローが印象に残ります。関係者、ファンの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです」
引退か…('A`)
障害レースは好きだが何せ一日一レース(競走分割が有った時代、障害が分割対象になり二レースやった事は有ったが)、障害騎手の印象はどうしても薄くなる。星野忍や大江原哲は確かに障害の名手だが、たまさか平地競走に騎乗する時は単に免許更新の関係からで、明らかに脈の無い馬で回って来るだけだったのに対し、田中剛は平地でも人気薄を持って来て良く穴開けてくれた、おかげで障害やらん人にも穴騎手として強く刻まれてると思う。かつて日刊ゲンダイの月曜発行分の競馬面に『この一番人気馬は次走買えるか』というコーナーが有って(いつの間にか終わってしまったが)、仮に2着でも、とにかく負けた一番人気馬の関係者に敗因を語ってもらうというものだった。で、暮れの中山(今検索したら93年の冬至ステークスだった)でシャンソニエールに乗ってた柴田政人が「(勝ち馬が内から)来てたのは解ってたけど、剛があんまりうるさいからつい開けちゃったよ」的なコメントしてて、これがウチの社で大受け「田中剛何言ったんだw」「『会長、開けてー!お願い!!』とか叫んだんでしょw」と、長きに渡りサカナになったものだ。
今の美浦を取り巻く環境じゃ調教師として活躍出来るかには疑問も残るが、これだけの熱血漢(そのエピソードは数知れず)、少なくとも『人を育てる』という事に関してはまず間違い無いだろう。ガン(`・ω・´)ガレ!
>2009年7月31日 紙面から
>障害の現役最多勝ジョッキーで、関東最年長の田中剛騎手(48)=美浦・フリー=が引退を決意した。30日までに本紙の取材で明らかになった。度重なる落馬により頸椎、心臓、ヒザなどを19回も手術。満身創痍(そうい)の状態で騎乗を続けてきたが、主治医の進言を受け入れ、30年間の騎手生活に別れを告げる。
>闘志むき出しの騎乗はもう見られない。田中剛の体力は、数え切れない落馬後遺症のダメージで限界に来ていた。06年6月3日、サンダーロールに騎乗して史上3人目の障害200勝を達成。その頃からクビに異常があった。神経が圧迫されて手術でも完治せず、指のしびれなどが残った。
>主治医には数カ月前、危険が大きすぎることから障害騎乗を止められた。平地騎乗なら可能かどうかを模索していたが、ついに現役続行を断念する。今回の病名は「変形性頸椎(けいつい)症」。頸椎の骨が2カ所つぶれた状態で、回復は極めて困難と診断されたという。
>田中剛は競馬学校の前身である馬事公苑の長期騎手課程を経て、1979年に柄崎義信きゅう舎から騎手デビュー。少年ボクシングで鍛えた屈強な体、強気な性格を武器に頭角を現していった。2年目にカチウマタローで中山大障害(秋)を制覇し名を高めた。その後、落馬負傷を繰り返したが不屈の闘志でカムバック。障害を代表するジョッキーの地位を築いた。海外遠征も積極的に行い、95年には日本人で初めて英グランドナショナルに騎乗(ザコミッティ、落馬)。ファイトあふれる騎乗は支持者が多かった。
>しかし、負傷は体の奥深くをむしばんでいた。体力の限界を痛感、年齢的なことも考え、今後は10月の調教師試験の勉強に本腰を入れる。5月31日の青嵐賞のミウラリチャード(9着)が最後の騎乗となった。JRA通算364勝で、うち障害は207勝。優秀障害騎手賞を5回、最多勝利障害騎手賞を3回受賞している。
>田中剛騎手「悩み、考えた末に引退を決めました。思い出はありすぎますが、初めて中山大障害を勝たせてくれたカチウマタローが印象に残ります。関係者、ファンの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです」
引退か…('A`)
障害レースは好きだが何せ一日一レース(競走分割が有った時代、障害が分割対象になり二レースやった事は有ったが)、障害騎手の印象はどうしても薄くなる。星野忍や大江原哲は確かに障害の名手だが、たまさか平地競走に騎乗する時は単に免許更新の関係からで、明らかに脈の無い馬で回って来るだけだったのに対し、田中剛は平地でも人気薄を持って来て良く穴開けてくれた、おかげで障害やらん人にも穴騎手として強く刻まれてると思う。かつて日刊ゲンダイの月曜発行分の競馬面に『この一番人気馬は次走買えるか』というコーナーが有って(いつの間にか終わってしまったが)、仮に2着でも、とにかく負けた一番人気馬の関係者に敗因を語ってもらうというものだった。で、暮れの中山(今検索したら93年の冬至ステークスだった)でシャンソニエールに乗ってた柴田政人が「(勝ち馬が内から)来てたのは解ってたけど、剛があんまりうるさいからつい開けちゃったよ」的なコメントしてて、これがウチの社で大受け「田中剛何言ったんだw」「『会長、開けてー!お願い!!』とか叫んだんでしょw」と、長きに渡りサカナになったものだ。
今の美浦を取り巻く環境じゃ調教師として活躍出来るかには疑問も残るが、これだけの熱血漢(そのエピソードは数知れず)、少なくとも『人を育てる』という事に関してはまず間違い無いだろう。ガン(`・ω・´)ガレ!
ippachi_bakuchiuchi at 21:14│コメント(0)