岩見沢競馬
March 10, 2017
北海道の人に絶対言ってはいけない9のこと https://www.buzzfeed.com/shunsukemori/hokkaido-is-too-big
>2017/03/8 18:01
>Shunsuke Mori
>森 駿介 BuzzFeed Staff, Japan
「北海道あるある」もいろんな所で見掛けるが、何度もネタにされる=まだまだ知られていないって事だもんな。それでいて中身はパンチが効いてるし。
さて。ちょうど10年前、競技そのものが廃止の危機にあったばんえい競馬は、
十勝毎日新聞社[衝撃〜ばんえい廃止] http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/06banba/index.htm
当時、旭川・岩見沢・帯広・北見の4場体制で運営されていた。一番近い旭川↔岩見沢でも100km離れてて(一番遠い岩見沢↔北見だと270km)、10年前だと高速道も今ほど出来てなかったから、他競技のようにそれぞれの所で調教し競馬場に輸送し出走し日々の生活もし…というのではなく、関係者総出でシーズンごとに各地を渡り歩くジプシー方式だった。ずいぶんと無駄の多いやり方に映るが、10年前といえば最初のiPhoneすら存在してない、だからネット環境も貧弱で、でもって客の方だって各場に遠征なんてオイソレとは出来ない(公共交通機関だと帯広↔岩見沢・北見は乗り換えなしの1本では行けない)、だから道内に幅広く競馬文化・ばんえい文化を伝えるという意義は確かにあったのだが、しかし経営効率という点で観点からすると明らかにやり過ぎ、過大投資だった。…いやしかし、改めて腹立つほどデカいな北海道。何でそこまで('A`)
>2017/03/8 18:01
>Shunsuke Mori
>森 駿介 BuzzFeed Staff, Japan
「北海道あるある」もいろんな所で見掛けるが、何度もネタにされる=まだまだ知られていないって事だもんな。それでいて中身はパンチが効いてるし。
さて。ちょうど10年前、競技そのものが廃止の危機にあったばんえい競馬は、
十勝毎日新聞社[衝撃〜ばんえい廃止] http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/06banba/index.htm
当時、旭川・岩見沢・帯広・北見の4場体制で運営されていた。一番近い旭川↔岩見沢でも100km離れてて(一番遠い岩見沢↔北見だと270km)、10年前だと高速道も今ほど出来てなかったから、他競技のようにそれぞれの所で調教し競馬場に輸送し出走し日々の生活もし…というのではなく、関係者総出でシーズンごとに各地を渡り歩くジプシー方式だった。ずいぶんと無駄の多いやり方に映るが、10年前といえば最初のiPhoneすら存在してない、だからネット環境も貧弱で、でもって客の方だって各場に遠征なんてオイソレとは出来ない(公共交通機関だと帯広↔岩見沢・北見は乗り換えなしの1本では行けない)、だから道内に幅広く競馬文化・ばんえい文化を伝えるという意義は確かにあったのだが、しかし経営効率という点で観点からすると明らかにやり過ぎ、過大投資だった。…いやしかし、改めて腹立つほどデカいな北海道。何でそこまで('A`)
ippachi_bakuchiuchi at 22:15│コメント(0)
October 03, 2013
夕張市 人口が1万人割り込む http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131002/k10014982271000.html
>10月2日 18時16分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131002/K10049822711_1310021816_1310021832_01.jpg
>北海道夕張市は、石炭産業の衰退後、力を入れた第3セクターによる観光施設のずさんな経営などで財政が破たんしました。
>平成19年に全国で唯一の財政再生団体となり、300億円を超える借金を20年近くかけて返済するため、国の管理の下、財政の建て直しを進め、税金や下水道料金などの住民の負担が増し、市立病院が診療所になるなど行政サービスは縮小されました。
>こうした対応に伴って住民が減り続け、人口は財政再生団体となった平成19年3月末は1万2631人でしたが、先月末には9968人となり1万人を割り込みました。
>財政再生団体となってからの6年余りで人口の21%、2600人余りが減ったことになります。
>夕張市は点在する集落を集約して効率的な運営を進めようとしてますが、人口減少は想定を上回る早さで進んでいて、石炭に代わる産業の育成などが大きな課題になっています。
>夕張市の鈴木直道市長は「財政破たん後、人口減少が止まらず急激に1万人を切ってしまったのは深刻な問題として受け止めている。企業誘致など人を増やす対策とともに、人口減少を前提にまちの集約化を進め、まちを維持していかなければならない。しかし、かつて10万人を超える規模であった、まちを一気に再編していくことに難しさも感じている」と話しました。
企業に撤退された企業城下町のようなものだが、それが国策(=エネルギー転換政策)によるものだったからオラ知らね後は勝手に…っつう訳には行かない、夕張に限らず全国産炭都市に国は猶予期間付きながら財政支援してたが、
>力を入れた第3セクターによる観光施設のずさんな経営などで財政が破たんしました
夕張市 - Wikipedia
メロン農家以外まともな産業がなかったから、職を求める若い世代がこぞって街を離れる→なら市内に雇用の受け皿となるものを作らなきゃ…ってのは間違ってないが、それにしてももっとビジネス、特に客商売知ってる人材を育てるなり外部から招き入れるなりしないと。ナメてたとしか思えん。
さて、一バクチ打ちとして、3競オートも広い意味での客商売でもある。産炭地だったいわきと飯塚市は財政破綻とは無縁な自治体運営がなされているが、両市にはそれぞれ競輪・オートレースが有り、財政に大きな寄与を果たしている。もっとも、実際市民は、健全財政の理由にはスパリゾートハワイアンズと元首相を輩出した麻生コンツェルンを挙げるだろう。
フラガール [Blu-ray]
出演:松雪泰子
販売元:Happinet(SB)(D)
発売日:2009-12-18
公営競技界やファンは卑屈になる必要はないが自己過大評価も良くない、謙虚にならなきゃ。つか「公営競技のおかげで両市が栄えた」と主張するなら、例えば夕張市が公営競技主催してたら財政破綻しないで済んだ…ぐらいの事が言えなければならない、で、これはハッキリNOだ。何といっても北海道有数の豪雪地帯。何となく豪雪地に思ってしまう岩手競馬だって冬季休催期間は3ヶ月。函館・青森・弥彦・福井競輪だって4ヶ月間だ。これが夕張だとさらに長引く→それだけ運営が制約される。帯広競馬は真冬でも開催されてるが、これは道内でも比較的降雪量の少ない帯広だから可能なのであって、夕張から程近い岩見沢に競馬場が有った際も、降雪シーズンに岩見沢開催はないスケジューリングになっていた。つまり、夕張で競馬を開催しようと思う事自体無理が有る。競艇オートはもちろんだし、残る競輪だが、これは今だったらドーム競輪という発想が出て来るが、60年代に自転車競技を屋内で行おうという発想が出来る人が果たして夕張、いや日本に何人居たか。そもそも前述の通りの豪雪地帯、自転車は一年のうち半分しか使い物にならない、軽視される代物だ。そしてさらに、車で1時間半で行けて人口は一桁多い札幌で競輪が実際開催されてたが、人気が出ずアッサリ廃止の憂き目に会っている。もうどうやっても、夕張で公営競技をやって成功しただろうという結論は出て来ない。
想像力は個人的なものだから「イヤ、夕張も公営競技やってれば財政破綻しないで済んだ」と考えるのはその人の勝手だ。でも表に出したら「世間知らず」「夕張知らず」「バカ」と嘲われるのは必至だ。まあ真冬の夕張に一週間も滞在すれば、さすがに即撤回するだろうと思うけど、ね( ´,_ゝ`)
>10月2日 18時16分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131002/K10049822711_1310021816_1310021832_01.jpg
>北海道夕張市は、石炭産業の衰退後、力を入れた第3セクターによる観光施設のずさんな経営などで財政が破たんしました。
>平成19年に全国で唯一の財政再生団体となり、300億円を超える借金を20年近くかけて返済するため、国の管理の下、財政の建て直しを進め、税金や下水道料金などの住民の負担が増し、市立病院が診療所になるなど行政サービスは縮小されました。
>こうした対応に伴って住民が減り続け、人口は財政再生団体となった平成19年3月末は1万2631人でしたが、先月末には9968人となり1万人を割り込みました。
>財政再生団体となってからの6年余りで人口の21%、2600人余りが減ったことになります。
>夕張市は点在する集落を集約して効率的な運営を進めようとしてますが、人口減少は想定を上回る早さで進んでいて、石炭に代わる産業の育成などが大きな課題になっています。
>夕張市の鈴木直道市長は「財政破たん後、人口減少が止まらず急激に1万人を切ってしまったのは深刻な問題として受け止めている。企業誘致など人を増やす対策とともに、人口減少を前提にまちの集約化を進め、まちを維持していかなければならない。しかし、かつて10万人を超える規模であった、まちを一気に再編していくことに難しさも感じている」と話しました。
企業に撤退された企業城下町のようなものだが、それが国策(=エネルギー転換政策)によるものだったからオラ知らね後は勝手に…っつう訳には行かない、夕張に限らず全国産炭都市に国は猶予期間付きながら財政支援してたが、
>力を入れた第3セクターによる観光施設のずさんな経営などで財政が破たんしました
夕張市 - Wikipedia
メロン農家以外まともな産業がなかったから、職を求める若い世代がこぞって街を離れる→なら市内に雇用の受け皿となるものを作らなきゃ…ってのは間違ってないが、それにしてももっとビジネス、特に客商売知ってる人材を育てるなり外部から招き入れるなりしないと。ナメてたとしか思えん。
さて、一バクチ打ちとして、3競オートも広い意味での客商売でもある。産炭地だったいわきと飯塚市は財政破綻とは無縁な自治体運営がなされているが、両市にはそれぞれ競輪・オートレースが有り、財政に大きな寄与を果たしている。もっとも、実際市民は、健全財政の理由にはスパリゾートハワイアンズと元首相を輩出した麻生コンツェルンを挙げるだろう。
フラガール [Blu-ray]
出演:松雪泰子
販売元:Happinet(SB)(D)
発売日:2009-12-18
公営競技界やファンは卑屈になる必要はないが自己過大評価も良くない、謙虚にならなきゃ。つか「公営競技のおかげで両市が栄えた」と主張するなら、例えば夕張市が公営競技主催してたら財政破綻しないで済んだ…ぐらいの事が言えなければならない、で、これはハッキリNOだ。何といっても北海道有数の豪雪地帯。何となく豪雪地に思ってしまう岩手競馬だって冬季休催期間は3ヶ月。函館・青森・弥彦・福井競輪だって4ヶ月間だ。これが夕張だとさらに長引く→それだけ運営が制約される。帯広競馬は真冬でも開催されてるが、これは道内でも比較的降雪量の少ない帯広だから可能なのであって、夕張から程近い岩見沢に競馬場が有った際も、降雪シーズンに岩見沢開催はないスケジューリングになっていた。つまり、夕張で競馬を開催しようと思う事自体無理が有る。競艇オートはもちろんだし、残る競輪だが、これは今だったらドーム競輪という発想が出て来るが、60年代に自転車競技を屋内で行おうという発想が出来る人が果たして夕張、いや日本に何人居たか。そもそも前述の通りの豪雪地帯、自転車は一年のうち半分しか使い物にならない、軽視される代物だ。そしてさらに、車で1時間半で行けて人口は一桁多い札幌で競輪が実際開催されてたが、人気が出ずアッサリ廃止の憂き目に会っている。もうどうやっても、夕張で公営競技をやって成功しただろうという結論は出て来ない。
想像力は個人的なものだから「イヤ、夕張も公営競技やってれば財政破綻しないで済んだ」と考えるのはその人の勝手だ。でも表に出したら「世間知らず」「夕張知らず」「バカ」と嘲われるのは必至だ。まあ真冬の夕張に一週間も滞在すれば、さすがに即撤回するだろうと思うけど、ね( ´,_ゝ`)
ippachi_bakuchiuchi at 19:29│コメント(0)
December 26, 2009
仕事終わりで中目黒へ。改札出て右へ、駒沢通りの交差点をまた右、目黒区役所の先にこれ。
一度食ってみたかったのよね、かすうどん。かすとは穏やかでないが、牛の小腸をヘットで素揚げしたもの(ネーミングの由来は不明)。麺もツユも関西の旨いヤツで間違いないのだが、このかす自体からもダシが出て、他にない味になっている。ホッピーに合う合う(・∀・)! ブツの写真がないのは思いの他店が狭く、撮るのが憚られたため。基本小心者なのよね('A`)
食い終わった後は、酔い覚ましがてら周辺散策。都合4匹見た地域猫は皆肥えている、地元民に愛されてるのだろう。天祖神社裏の公園、1匹は撫でさせてくれた(´∀`)
その後は先の交差点に戻り、山手通りを南進、20分足らずで目黒区美術館。
https:文化資源としての炭鉱展
//mmat.jp/exhibition/archives/ex091104
この美術展の協力者の一員でもあるNPO法人、のショールームみたいのが先月寄った岩見沢の街にあって、入りはしなかったが貼ってあったポスターでこれを知った次第。
タイトルから軍艦島モノクロ写真的なものを想像してたが、それはごくごく一部でしかなかった。そもそも黒船来航が1853年、陸(おか)蒸気は明治になってすぐ。だから明治初期、既に日本でも石炭産業は確立していた。その頃の炭鉱と芸術を結び付けた人はさすがに居ないが、明治も中期に入るとチラホラ現れ出す、そういう人の絵はまぁあ黒く、暗く、重く、見てるだけで圧迫されるような締め付けられるような。もうちょっと時代が進むと筑豊だけでなく北海道の炭鉱をモチーフにする人も現れるが、それらの絵の雪の白味だけでホッとするほどだ。本来、炭鉱労働の過酷さに北海道の冬の過酷がプラスされてさらに苛烈な筈なのだが、一連の絵を見てると明るさの様に錯覚してしまうのだ。
実際掘ってた人が記憶を基に描いた絵日記っつうか挿絵とキャプション的なものもあるが、明治の炭鉱労働は本当に過酷だった事が解る。30年代前半は柱時計のある家は皆無だったとか、労働争議の事を米騒動と表現してたり。
そいで最後の方になって、ようやく写真が現れる。北海道の雪も、写真だと煤けて黒っぽいのが解る。昭和も30年代に入ると「この街にも映画館が4件あってな…」的世界となる、しかしそれが石炭産業のピーク。で、危機感を持ったいわき市は(常磐ハワイアンセンターだけでなく)競輪事業に進出する&飯塚市はオートレースに手を染める…っつう、3競オート打ちにお馴染みの時代がようやくやって来る訳だが、もちろんこの美術展にそんなモンは出て来ない。
見終わって、山手通りを今度は目黒方面へ…通りの向かい側に行列店があった。
いやさすがに加わりません。地下鉄乗り継いで帰宅。
【追記】
バクチ話に岩見沢競馬を加えなかったのは、炭鉱の街ではないから。
続きを読む
一度食ってみたかったのよね、かすうどん。かすとは穏やかでないが、牛の小腸をヘットで素揚げしたもの(ネーミングの由来は不明)。麺もツユも関西の旨いヤツで間違いないのだが、このかす自体からもダシが出て、他にない味になっている。ホッピーに合う合う(・∀・)! ブツの写真がないのは思いの他店が狭く、撮るのが憚られたため。基本小心者なのよね('A`)
食い終わった後は、酔い覚ましがてら周辺散策。都合4匹見た地域猫は皆肥えている、地元民に愛されてるのだろう。天祖神社裏の公園、1匹は撫でさせてくれた(´∀`)
その後は先の交差点に戻り、山手通りを南進、20分足らずで目黒区美術館。
https:文化資源としての炭鉱展
//mmat.jp/exhibition/archives/ex091104
この美術展の協力者の一員でもあるNPO法人、のショールームみたいのが先月寄った岩見沢の街にあって、入りはしなかったが貼ってあったポスターでこれを知った次第。
タイトルから軍艦島モノクロ写真的なものを想像してたが、それはごくごく一部でしかなかった。そもそも黒船来航が1853年、陸(おか)蒸気は明治になってすぐ。だから明治初期、既に日本でも石炭産業は確立していた。その頃の炭鉱と芸術を結び付けた人はさすがに居ないが、明治も中期に入るとチラホラ現れ出す、そういう人の絵はまぁあ黒く、暗く、重く、見てるだけで圧迫されるような締め付けられるような。もうちょっと時代が進むと筑豊だけでなく北海道の炭鉱をモチーフにする人も現れるが、それらの絵の雪の白味だけでホッとするほどだ。本来、炭鉱労働の過酷さに北海道の冬の過酷がプラスされてさらに苛烈な筈なのだが、一連の絵を見てると明るさの様に錯覚してしまうのだ。
実際掘ってた人が記憶を基に描いた絵日記っつうか挿絵とキャプション的なものもあるが、明治の炭鉱労働は本当に過酷だった事が解る。30年代前半は柱時計のある家は皆無だったとか、労働争議の事を米騒動と表現してたり。
そいで最後の方になって、ようやく写真が現れる。北海道の雪も、写真だと煤けて黒っぽいのが解る。昭和も30年代に入ると「この街にも映画館が4件あってな…」的世界となる、しかしそれが石炭産業のピーク。で、危機感を持ったいわき市は(常磐ハワイアンセンターだけでなく)競輪事業に進出する&飯塚市はオートレースに手を染める…っつう、3競オート打ちにお馴染みの時代がようやくやって来る訳だが、もちろんこの美術展にそんなモンは出て来ない。
見終わって、山手通りを今度は目黒方面へ…通りの向かい側に行列店があった。
いやさすがに加わりません。地下鉄乗り継いで帰宅。
【追記】
バクチ話に岩見沢競馬を加えなかったのは、炭鉱の街ではないから。
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ippachi_bakuchiuchi at 21:04│コメント(0)
November 29, 2009
4時起きで羽田→朝一エアドゥで千歳→快速エアポートで札幌。接続が悪いので乗り継ぎは諦め高速バス…前、一昨年か3年前か、その時は単なる乗り換え通過だったため気付かんかったが、札幌駅エラい変わったんだな(あと駅周辺の街並みも)。何せその前っつうと、さらに十年ぐらい前の記憶しか無いし。まあとにかく岩見沢。
国道経由かえで団地行のバスに乗り、終点1ヶ前のかえで団地入口で降り、来た道戻って右折。このバス停は『ト』の字型交差点を右折してすぐのトコに有って、つまりさっきの角をもしバスが曲がらず直進したら…って方角に行くという事。緩い上り坂を3分ほど歩くと
ロープ張ってあっても別に立入禁止とかの表示は無い、入ってみると車止めが墓標の様に並んでお出迎え。
看板の『沢』の字が脱落したままだったり
でも入場券売場なんか、今にも生き返りそうな気配も。
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国道経由かえで団地行のバスに乗り、終点1ヶ前のかえで団地入口で降り、来た道戻って右折。このバス停は『ト』の字型交差点を右折してすぐのトコに有って、つまりさっきの角をもしバスが曲がらず直進したら…って方角に行くという事。緩い上り坂を3分ほど歩くと
ロープ張ってあっても別に立入禁止とかの表示は無い、入ってみると車止めが墓標の様に並んでお出迎え。
看板の『沢』の字が脱落したままだったり
でも入場券売場なんか、今にも生き返りそうな気配も。
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