中瀬ゆかり
April 17, 2015
訃報:「天国への階段」…作家の白川道さん69歳 http://mainichi.jp/select/news/20150417k0000m040050000c.html
>毎日新聞 2015年04月16日 20時13分
白川道さん http://img.mainichi.jp/mainichi.jp/select/images/20150417k0000m040048000p_size5.jpg
>本紙朝刊の人気連載「人生相談」回答者で、ハードボイルドな作風で知られる作家、白川道(しらかわ・とおる、本名・西川徹=にしかわ・とおる)さんが16日午前、東京都内の自宅で意識を失っているのを家族が見つけた。病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。69歳。葬儀の日取りは未定。
>中国・北京生まれ。一橋大卒。大手家電メーカーや広告代理店などを経て投資顧問会社を経営。1991年、一般投資家から現金などをだまし取ったとして実刑判決を受けた。94年、バブル時代の株の世界の経験を描いた「流星たちの宴(うたげ)」で作家デビュー。2作目の「海は涸(かわ)いていた」(96年)は「絆−きずな−」として映画化。復讐(ふくしゅう)劇のミステリー「天国への階段」(2001年)はベストセラーとなり、ドラマ化された。他の作品に「終着駅」「最も遠い銀河」など。収監された過去がある作家を描いた「神様が降りてくる」を3月に刊行したばかりだった。
>13年からの本紙「人生相談」では、波瀾(はらん)万丈の人生経験を生かして語る筆致が好評を博した。今月13日付の回答が最後になった。
文学に明るくないもんで偉そうな事は言えないが、それでも大の競輪好きだったというエピソードならいくつか知ってはいるし、著書のタイトルだけ見たってそれは解る。
捲り眩られ降り振られ (幻冬舎文庫)
著 者:白川 道
販売元:幻冬舎
発売日:2006-12
【白川道】筆走るひとり道「これからは昭和しか書かない」 http://www.zakzak.co.jp/people/news/20091209/peo0912091705000-n1.htm
>2009.12.09
>夕刊フジ連載中のコラム「俺ひとり」で人気の作家、白川道氏。
>「大学を出て、4年ほどサラリーマンをやりました。当時、就職は売り手市場で、最初は関西の電機メーカーに、旅費をくれるというのでグリーン車で面接に行ったんです(笑)。完全な冷やかしで、大学では何をしていると聞かれ『ばくちばかり』と答えたら、妙に気に入られて就職。でも新人研修中に始末書を取られました。社内麻雀の勝ちが給料より多かったんですが、仕事には興味が持てずに3カ月でやめました。そして遊び人が多そうで勉強になりそうだということで広告代理店に入ったんです」
>その後、独立。やがて、株など投資の世界に入り、自ら投資顧問業を興す。バブル期の前だったが、自身はバブル絶頂期のような体験をした。そして、塀の中に。そこでもひとりを貫いた。
>「裁判どうこうより、それまでの人生の総括としてこれがあるのだと受け止めました。世間をなめ、おねーちゃんをさんざん泣かせて生きてきた。ひとつだけ『独房にしてくれ』と注文をつけました。中では自分なりに小説の書き方を勉強していた。出てきて2カ月ほどで書き上げたのが処女作です。いい格好しいだから、俺はあほじゃないと立証したいというよこしまな動機が含まれていましたね」
>94年に書いた『流星たちの宴』は、株の仕手戦が舞台のひりひりするようなサスペンス。世の中はハードボイルドの新旗手として迎えた。それから15年。寡作で鳴らした作家が、ひとつの節目を迎えたようだ。(ペン・幾田進)
>プロフィール 白川道(しらかわ・とおる) 1945年10月19日、中国・大連生まれ、64歳。神奈川県平塚市育ち。一橋大社会学部卒。ギャンブラーとしても知られ、特に競輪歴40年。20年ほど前のピーク時には静岡・伊東温泉で豪遊しながら、競輪場で月数千万円を稼ぎ出した逸話がある。でも、「最近はさっぱり。同居人のほうが調子いいですよ」とか。“同居人”とは『週刊新潮』部長職編集委員の中瀬ゆかりさん。夕刊フジにエッセー「ナナメ45度 おんなの坂道」を連載、夫婦漫才のような掛け合いも評判だ。
塀の外に出て来た直後に競輪で大暴れ、世はバブルの余韻がまだ残ってるとはいえ、競輪場で月数千万円を稼ぎ出すとはまたド派手な生き様は変わらなかったのね。つくづく大豪だったのだなあ。合掌。
>毎日新聞 2015年04月16日 20時13分
白川道さん http://img.mainichi.jp/mainichi.jp/select/images/20150417k0000m040048000p_size5.jpg
>本紙朝刊の人気連載「人生相談」回答者で、ハードボイルドな作風で知られる作家、白川道(しらかわ・とおる、本名・西川徹=にしかわ・とおる)さんが16日午前、東京都内の自宅で意識を失っているのを家族が見つけた。病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。69歳。葬儀の日取りは未定。
>中国・北京生まれ。一橋大卒。大手家電メーカーや広告代理店などを経て投資顧問会社を経営。1991年、一般投資家から現金などをだまし取ったとして実刑判決を受けた。94年、バブル時代の株の世界の経験を描いた「流星たちの宴(うたげ)」で作家デビュー。2作目の「海は涸(かわ)いていた」(96年)は「絆−きずな−」として映画化。復讐(ふくしゅう)劇のミステリー「天国への階段」(2001年)はベストセラーとなり、ドラマ化された。他の作品に「終着駅」「最も遠い銀河」など。収監された過去がある作家を描いた「神様が降りてくる」を3月に刊行したばかりだった。
>13年からの本紙「人生相談」では、波瀾(はらん)万丈の人生経験を生かして語る筆致が好評を博した。今月13日付の回答が最後になった。
文学に明るくないもんで偉そうな事は言えないが、それでも大の競輪好きだったというエピソードならいくつか知ってはいるし、著書のタイトルだけ見たってそれは解る。
捲り眩られ降り振られ (幻冬舎文庫)
著 者:白川 道
販売元:幻冬舎
発売日:2006-12
【白川道】筆走るひとり道「これからは昭和しか書かない」 http://www.zakzak.co.jp/people/news/20091209/peo0912091705000-n1.htm
>2009.12.09
>夕刊フジ連載中のコラム「俺ひとり」で人気の作家、白川道氏。
>「大学を出て、4年ほどサラリーマンをやりました。当時、就職は売り手市場で、最初は関西の電機メーカーに、旅費をくれるというのでグリーン車で面接に行ったんです(笑)。完全な冷やかしで、大学では何をしていると聞かれ『ばくちばかり』と答えたら、妙に気に入られて就職。でも新人研修中に始末書を取られました。社内麻雀の勝ちが給料より多かったんですが、仕事には興味が持てずに3カ月でやめました。そして遊び人が多そうで勉強になりそうだということで広告代理店に入ったんです」
>その後、独立。やがて、株など投資の世界に入り、自ら投資顧問業を興す。バブル期の前だったが、自身はバブル絶頂期のような体験をした。そして、塀の中に。そこでもひとりを貫いた。
>「裁判どうこうより、それまでの人生の総括としてこれがあるのだと受け止めました。世間をなめ、おねーちゃんをさんざん泣かせて生きてきた。ひとつだけ『独房にしてくれ』と注文をつけました。中では自分なりに小説の書き方を勉強していた。出てきて2カ月ほどで書き上げたのが処女作です。いい格好しいだから、俺はあほじゃないと立証したいというよこしまな動機が含まれていましたね」
>94年に書いた『流星たちの宴』は、株の仕手戦が舞台のひりひりするようなサスペンス。世の中はハードボイルドの新旗手として迎えた。それから15年。寡作で鳴らした作家が、ひとつの節目を迎えたようだ。(ペン・幾田進)
>プロフィール 白川道(しらかわ・とおる) 1945年10月19日、中国・大連生まれ、64歳。神奈川県平塚市育ち。一橋大社会学部卒。ギャンブラーとしても知られ、特に競輪歴40年。20年ほど前のピーク時には静岡・伊東温泉で豪遊しながら、競輪場で月数千万円を稼ぎ出した逸話がある。でも、「最近はさっぱり。同居人のほうが調子いいですよ」とか。“同居人”とは『週刊新潮』部長職編集委員の中瀬ゆかりさん。夕刊フジにエッセー「ナナメ45度 おんなの坂道」を連載、夫婦漫才のような掛け合いも評判だ。
塀の外に出て来た直後に競輪で大暴れ、世はバブルの余韻がまだ残ってるとはいえ、競輪場で月数千万円を稼ぎ出すとはまたド派手な生き様は変わらなかったのね。つくづく大豪だったのだなあ。合掌。
ippachi_bakuchiuchi at 21:20│コメント(0)