September 13, 2018

【井崎脩五郎のおもしろ競馬学】最初の3冠馬セントライトの想い出 - 産経ニュース https://www.sankei.com/west/amp/180912/wst1809120049-a.html
>2018.9.12 15:30
>セントライトが3冠を達成したのは昭和16(1941)年のことで、この年の3月15日にデビューしている。
>「えっ、そんなに遅くデビューして、よく皐月賞に間に合いましたね」と聞かれたことがあるが、戦前のサラブレッドはみな3歳(年齢新表記)になってからデビューしたのである。当時はまだ、馬の体質が総じて弱く、調教施設も整っておらず、現在のような2歳競馬は実施することが無理だった。
>以下はセントライトのダービー終了までのローテーションである(レース名は現行のものに改称)。  

 >3月15日  新馬   1着
 >  30日  皐月賞  1着
 >4月 5日  オープン 1着
 >  27日  オープン 1着
 >5月 3日  オープン 2着
 >  10日  オープン 1着
 >  18日  ダービー 1着

>現在ではまったく考えられないローテーション。なんとデビュー2戦目が皐月賞なのである。
>さらに皐月賞の6日後にはもうレースに出ているし、ダービー直前のオープンは古馬相手。ここで61キロを背負って東京競馬の芝2300メートルをコースレコードで勝っている。
>当時の日本競馬はこのように、レースを調教代わりにして心肺機能を鍛える、重い斤量を背負わせて我慢強さを育てるというのが主流だったのだ。(競馬コラムニスト)


すげえ。かなり調べたけど皐月賞の出走頭数が判らなくて、でも新馬勝ってただけなら抽選の末除外に…って可能性だってなくはなかったんだもんな。セントライト持ってる。
 それにつけてもこのローテ。時代が違うとはいえデビューから中1週で皐月賞、そこから連闘→中2週→3連闘でダービーって!
calender_aseru_man
今じゃ2歳夏にデビューしたってダービーまで6回使いする馬すら超レアだというのに。地方競馬だったら今でも当たり前の使い方だけど、中央で今こんなスタイルの調教師は居ない(連闘使い自体はそれほどに珍しくはないが)。開業当初の堀井雅広厩舎は中1週連発のこんな感じだったが、批判する声は少なくなかったし。JRA賞優秀技術調教師の審査項目の一つに出走回数という項目を設定してるにも拘らず、「全ての馬は勝利を目指さなければならない」という建前上マズいという事だったのか何かしら教育的指導があったのか、普通の使い方になってしまった。決して悪い事ではないと思うんだけどなあ(´-`).。oO
Red Callender Sextet & Fourtet
Red Callender Sextette
Imports
2016-10-28



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