December 21, 2016

江戸のマネー学 アイデアとおかねを味方につけて「にわか成金」になる方法 https://thepage.jp/detail/20161209-00000009-wordleaf
>2016.12.20 19:01
20161209-00000009-wordleaf-032df705775694e0cbf253faf64f26016 おかねを味方につけると「にわか成金」になれる?(写真はイメージ、提供:アフロ) https://wordleaf.c.yimg.jp/wordleaf/thepage/images/20161209-00000009-wordleaf/20161209-00000009-wordleaf-032df705775694e0cbf253faf64f26016.jpg
>水間寺(みずまでら)の「利生の銭」の話(『日本永代蔵』巻一「初午は乗って来る幸せ」)から見てみましょう。
>1年倍返しの約束で銭を貸す水間寺は、古代から開けた地、和泉国(現在の大阪府貝塚市)にあり、天平16(744)年に開山されたといわれます。その年1文借りれば、翌年2文にして返し、100文借りれば200文返すという風習がありました。ご本尊、観音様から借りた銭なので、だれもが皆、間違いなく返済しました。
>たいていは3文、5文程度を借りに来る人がほとんどでしたが、ある日、年の頃、22、3の頑強な変わった衣装を着た人が「借財一貫」と申し出て、役目の僧が貫ざしのまま(960文)渡し、その者から氏名も住所も聞きそびれ、行方知れずになってしまいました。高額ゆえに責任問題が生じたのでしょうかその後、寺は多額の貸付けはやめたそうです。
>その若者は、武蔵国江戸小網町の片端、漁師相手の廻船問屋の網屋を営んでいました。掛硯(かけすずり)に「仕合丸(しあわせまる)」と書き付け、それに水間寺の銭を入れておき、漁師が出漁するときに、銭の由来を語って100文ずつ貸し付けたところ、借りた人は自然と幸運に恵まれました。その評判は遠い漁村にまでにも伝わり、借りては返す銭が次々と、1年2倍の計算で、13年目にはもとの一貫文の銭が8192貫文(複利なので2の13乗)になりました。
>網屋は、江戸から東海道を通し馬で8192貫文の銭を運び寺に返済。水間寺では後々の語り草にと、その金で多宝塔を建立しました。
>引用:小学館日本古典文学全集『井原西鶴3日本永代蔵』(谷脇理史校注・訳)
>ファイナンシャルライター・瀧健
>監修:井戸美枝

武蔵国江戸小網町ってのは、銭洗い弁天としても知られる(この↑逸話とは関係ない)小網神社で有名な、今の日本橋小網町の事。そこから水間まで、この青年もわざわざ江戸から旅を ━━ 当時の事だから、もちろん徒歩で ━━ して、由緒ある、ありがたい銭を借りに来たのだ(別用で大坂に来たついでに立ち寄ったのかもしれないが)。それだけありがたい、霊験あらたかな銭であり観音様であるという事だ。
 「掛硯」ってのがピンと来なかったが、調べてみたら商いに使う帳面と銭、硯に墨に水に筆といった筆記用具を収納出来る抽き出しが付いた小振りの箪笥であると。画像↑のソロバンや銭が乗ってるのがそうだが、膝を入れる空間のない、普通に四角い箱ももちろんあって、四隅を金具で補強し持ち運べるようにしたものは舟箪笥と呼ばれたと。これ、春に福井に旅打ちした時にみくに龍翔館で見たヤツだ!
 …いやしかしそれにしても、記事見出しでは単なるゼニカネ話だとばかり思ってたけど、つながるもんだわさ。水間観音って関空使って岸和田競輪に旅打ちする時に立ち寄れるトコだし、武蔵国にしたって国府が府中だわ一ノ宮は大宮の氷川神社、やっぱりバクチと縁がある。せっかくバクチ打ってるんだから、旅打ちとか大げさでなくていいから、近場だけでなくいろいろ行くべきだな。その方が自分が拡がるもの( ´∀`)

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