January 14, 2010

 手元に87年の『小説競馬必勝法/井崎脩五郎(双葉社)』が有る。
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86年の、ギャロップダイナの有馬記念にまつわるいくつもの偶然を採り上げたものだが、この中に『千の箱の実験』というエピソードが出て来る。要約すると、

 ●外観から中身の判別が付かない箱を千人に渡し「ダイヤモンドの入ってるのが1ヶ有ります。出て来たら差し上げます」
 ↓
 ●浮き足立つ者も現れるが、大半は「どうせ千人に一人じゃ('A`) 」てな冷めた反応を示す。
 ↓
 ●別サンプルで「5ヶ」「10ヶ」と増やして行けば、当然色気を持ち出す人も増えて行く。
 ↓
 ●そして33ヶになると、千人全員が希望を持つのだと。

時代的背景やプレゼントの金銭的価値、サンプルの人種、性別、年齢、年収などによって結果は左右されそうに思うが、とにかく千分の33という数は基本であるそうだ。

 >有吉は考えた。
 >千のうち、三十三の当たりか。
 >競馬だったら、どうだろう。
 >千人が百円ずつ馬券を買ったとして、売り上げは十万円。
 >これを適中者三十三人で山分けすると、一人三〇三〇円か。
 >いや、待てよ。
 >これに二五パーセントの控除がかかるわけか。
 >三〇三〇円から、二五パーセントを控除すると、いくらになるか。
 >有吉は暗算してみた。
 >二二七〇円……か。
 >そうだ。たしかに二二七〇円で間違いはない。
 >頭に浮かび上がったその数字に、有吉は、一瞬のうちに痺れた。
 >中央競馬会は、年間の平均連勝配当が、昭和五十年以来、ずっと
  二千二百円台にぴったりとおさまってきているのだ。
 >(そうだ、去年なんか、そのものずばり、二二七〇円だった)
 >有吉は、配当まで演出されているのかと思った。
 >平均配当をちょうど二千二百円台にコントロールしておくことが、
  ファンの馬券に対する購買意欲を誘うのだ。
 >そうに違いない。
 >平均配当がそれくらいの競馬を続けることが、ファンの購買意欲を
  もっとも喚起するのだ。欲を出させるのだ。

補足すると、低配当なレースは当たり易いから、いわゆる銀行レース大好きな大口客にはありがたいが、一攫千金を狙う庶民には「こんなん夢ねぇ、totoや宝くじの方がエエわ」と愛想尽かされ逃げられてしまう。逆に、一昨年の春のGIシリーズのように百万馬券連発なんてなった日にゃ、庶民は大喜びで参加する一方で「理屈も何も有ったもんじゃない、こんなん真面目に考えんのアホくさ」と大口客は逃げ出す。小銭客も大口客もが食指をそそられる、最も売上を見込めるヴォリュームゾーンというのが有る筈だが、それはナンボぐらいの配当の時か?という命題に、千分の33の法則を当て嵌める訳だ。ただ一人が総取りのものより、的中者が増えて行くに連れ興味を持つ人の割合も増える。そして千分の33で参加者全員が興味を持つのだから、それ以上易しくする必要はない。
 補足ついでに書くと、8枠連複は最大で36通り。ただし実際には少頭数のレースも有るし、そもそものフルゲートが16頭に満たないコースも有るから、競馬会が変な作為を加えない限り、確率は自ずと千分の33に近付くという訳だ。馬番連勝複式の導入をJRAが頑なに拒んでた際「馬連は高配当が出るので射倖心を煽る」と余計なお世話的配慮コメントを発していたのはもちろん方便で、売上を伸ばしたい=射倖心を煽りたい→それには8枠連複が最適、というのがJRAの本音だったろう。
 しかし8枠連複には同枠取消問題という極めて大きな瑕疵が有り、それから解放された馬連は競馬ファンに圧倒的好評を以て迎えられた。ところが競馬マスコミは高配当の方のみにスポットを当て、ミスリードされた競技団体の行き着いたのが三連単…という訳だ。
 これらは売る側の論理。客側からすると、控除率が賭式ごとに違わない限り、より複雑な賭式(具体的には三連単)の方が有利に決まってる。昨日付で書いたが、JKAはどうやら競輪で三連単の発売を縮小したいように見受けられる。そしてそうであるならば、愚策というしかない。というのは、他競技も足並み揃えて三連単撤退する訳ではないからだ。松山や富山や静岡のような、近隣に競合施設がない場はともかく、それ以外の大多数の場では客をみすみす他競技に転向させるだけだろう。まあ、近々行われる討論会とやらの結論も同じになると思うけども( ´,_ゝ`)

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