August 22, 2009

 突然だが、俺どうしてこんなんなったんだろうと考察してみた。境遇とかじゃなく、俺の性格、人格だ。で、突き詰めて出た結論は、親父だ。
 前、テレ朝『アメトーーク!』で家電芸人の回の時、ヴィデオデッキがいかに革命的な商品、出来事であったか関根勤が熱弁を震って、スタジオ観覧客が若い女のコばかりだったから伝わってなかったが、俺はTVの前で激しく頷いたクチだ。俺が中学の時、ビクターから13万8千円のが出て、これが当時画期的に安い(!)とヒットした。同じクラスに医者の息子が居て、そいつんチがそれを買ったという情報が広まるや「カ〜ネ持ちぃ〜!」とクラス一同羨んだものだ。そんなだから、俺が高校出るまで、つまり実家にデッキは無かった。当然だがTVは一家に一台しか無く、でもって他に娯楽も無く、という中で家族それぞれの視たい番組が異なる時どうなるか。当事『チャンネル権』なる言葉が存在したが、ウチは親父の絶対君主制だった。でもって親父は、時代劇と演歌史上主義者だった。だからクラスで、昨日の『紅白歌のベストテン』の話で盛り上がってる輪に俺は加わる事が出来なかった。ウチは『水戸黄門』や『大岡越前』だったからだ。『8時だョ!全員集合』は視れたが、『オレたちひょうきん族』の時代になると真裏で『暴れん坊将軍』が始まってたので、やはり視る事が出来なかった。それほど社交的とは言えない俺の性格の全てをこのせいにするつもりは無いが、しかし結構なウエイトを占めているのは間違い無いだろう。
 もう一つ、被害者自慢しても不毛なだけだから何とか楽しんでやろう、面白いトコ見付けてやろうとして、黄門様のバックに飛行機飛んでたとか土下座した地面にタイヤの跡がとか、そういうヤな物の見方をする癖が付いてしまった。
 で、この二つは、バクチをする上で、皮肉にも非常に役に立っている。
 仲間と連れ立ちレース場に行く、それは楽しい行為だが、いざ馬券なり車券なりを買う際には『ただ独り』に立ち返る事が要求される。「そんなん来ねェよ」と買わせるのを止めさせた目で決まっちゃって、またそれが高配当んなって何とも気まずい思い、なんて話は誰しも見聞きした事が有る筈だ。そんな周りの声を、アドヴァイスだと好意的に捉えつつも雑音と斬って捨てる必要も有る、そんな時に、独りで考える事を子供時分からトレーニングされてたのは明らかにプラスに働いてるよなと。後者は、このレースで勝負して良いのか?本当に固いのか穴は無いのか?と物事を疑る癖が付いた事。…要するにアレだ、世の中を斜めから見て、予定調和が成立出来なかったのをメシウマw してしまう人間だって事だ。ヤな奴ちゃな我ながら('A`)

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