August 02, 2009

障害の名手 田中剛騎手が引退 http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/race/news/CK2009073102000130.html
>2009年7月31日 紙面から
>障害の現役最多勝ジョッキーで、関東最年長の田中剛騎手(48)=美浦・フリー=が引退を決意した。30日までに本紙の取材で明らかになった。度重なる落馬により頸椎、心臓、ヒザなどを19回も手術。満身創痍(そうい)の状態で騎乗を続けてきたが、主治医の進言を受け入れ、30年間の騎手生活に別れを告げる。
>闘志むき出しの騎乗はもう見られない。田中剛の体力は、数え切れない落馬後遺症のダメージで限界に来ていた。06年6月3日、サンダーロールに騎乗して史上3人目の障害200勝を達成。その頃からクビに異常があった。神経が圧迫されて手術でも完治せず、指のしびれなどが残った。
>主治医には数カ月前、危険が大きすぎることから障害騎乗を止められた。平地騎乗なら可能かどうかを模索していたが、ついに現役続行を断念する。今回の病名は「変形性頸椎(けいつい)症」。頸椎の骨が2カ所つぶれた状態で、回復は極めて困難と診断されたという。
>田中剛は競馬学校の前身である馬事公苑の長期騎手課程を経て、1979年に柄崎義信きゅう舎から騎手デビュー。少年ボクシングで鍛えた屈強な体、強気な性格を武器に頭角を現していった。2年目にカチウマタローで中山大障害(秋)を制覇し名を高めた。その後、落馬負傷を繰り返したが不屈の闘志でカムバック。障害を代表するジョッキーの地位を築いた。海外遠征も積極的に行い、95年には日本人で初めて英グランドナショナルに騎乗(ザコミッティ、落馬)。ファイトあふれる騎乗は支持者が多かった。
>しかし、負傷は体の奥深くをむしばんでいた。体力の限界を痛感、年齢的なことも考え、今後は10月の調教師試験の勉強に本腰を入れる。5月31日の青嵐賞のミウラリチャード(9着)が最後の騎乗となった。JRA通算364勝で、うち障害は207勝。優秀障害騎手賞を5回、最多勝利障害騎手賞を3回受賞している。
>田中剛騎手「悩み、考えた末に引退を決めました。思い出はありすぎますが、初めて中山大障害を勝たせてくれたカチウマタローが印象に残ります。関係者、ファンの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです」

引退か…('A`)
 障害レースは好きだが何せ一日一レース(競走分割が有った時代、障害が分割対象になり二レースやった事は有ったが)、障害騎手の印象はどうしても薄くなる。星野忍や大江原哲は確かに障害の名手だが、たまさか平地競走に騎乗する時は単に免許更新の関係からで、明らかに脈の無い馬で回って来るだけだったのに対し、田中剛は平地でも人気薄を持って来て良く穴開けてくれた、おかげで障害やらん人にも穴騎手として強く刻まれてると思う。かつて日刊ゲンダイの月曜発行分の競馬面に『この一番人気馬は次走買えるか』というコーナーが有って(いつの間にか終わってしまったが)、仮に2着でも、とにかく負けた一番人気馬の関係者に敗因を語ってもらうというものだった。で、暮れの中山(今検索したら93年の冬至ステークスだった)でシャンソニエールに乗ってた柴田政人が「(勝ち馬が内から)来てたのは解ってたけど、剛があんまりうるさいからつい開けちゃったよ」的なコメントしてて、これがウチの社で大受け「田中剛何言ったんだw」「『会長、開けてー!お願い!!』とか叫んだんでしょw」と、長きに渡りサカナになったものだ。
 今の美浦を取り巻く環境じゃ調教師として活躍出来るかには疑問も残るが、これだけの熱血漢(そのエピソードは数知れず)、少なくとも『人を育てる』という事に関してはまず間違い無いだろう。ガン(`・ω・´)ガレ!

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